桜ものがたり
 
 祐里の誕生日の四月三日になり、

光祐さまが十日間の休暇を終えて、都に戻る日が訪れた。


 朝食の後、光祐さまは、時間を惜しむかのように

祐里を連れて桜池に散歩に出た。

 お屋敷の奥地には、豊かな水を湛えた桜池が広がり、

桜川地方の水源となっていた。

 桜の木立にぐるりと囲まれた桜池は、立ちこめた霧が晴れて行くに連れて、

後方に裾野を広げる雄大な桜山の新緑と青い空を映し出し、

荘厳な美しい水面の表情をみせていた。

 この桜池から桜山までの広大な土地は、桜河家の所有地だった。



「静かでございますね」

 祐里は、陽射しに輝く水面を見つめ、光祐さまと並んで池の辺に佇む。

 湖の穏やかな漣がきらきらと一列になって、生きているように移ろい、

何処からともなく鶯の音色が聴こえた。

 自然に抱(いだ)かれて、光祐さまと祐里の二人だけの時間が

ゆったりと流れていた。

 柔らかなそよ風が二人の心をくすぐって、

池の水面のように麗らかな心地に包まれていた。

「桜池が桜の樹を映してしあわせそうに見えるだろう。

 ぼくのこころも祐里がいるだけでしあわせだもの」

 光祐さまは、桜色に頬を染める祐里を笑顔で見つめた。

「そのように想ってくださいまして、祐里は、しあわせでございます」

 光祐さまと祐里の仲睦まじい様子に、桜の木立の膨らんだ蕾たちが

くすぐられるように微笑んで咲き始めていた。

「祐里、十六歳のお誕生日おめでとう。ぼくからの贈り物だよ」

 光祐さまは、ポケットから桜の花の首飾りを取り出して、

祐里の首にかける。

「光祐さま、ありがとうございます。とても嬉しゅうございます。

 大切にいたします」

 祐里の笑顔とともに、白い肌の上で桜の花の首飾りが小さく揺れた。

「ここにこうしていると、子どもの時のままのように感じるね。

 何時も祐里が側にいた。昨日も今日も明日も変わることなく……

このまま都に連れて行きたいくらいだよ」

 光祐さまは、大きな石の上に腰かけ、祐里も横に座った。

「光祐さまが中学に進学された時は、淋しい想いをいたしました。

 祐里も都に行きとうございました。でも、これからは、淋しくても、

旦那さまと奥さまにお仕えして、光祐さまを信じてお待ち申し上げます」

 祐里の瞳の奥には、光祐さまから愛されているという自信が覗われた。

 それは、今まで孤児として身の拠り所のなかった祐里の確固たる

居場所であった。

 光祐さまと祐里は、お腹がすくまで寄り添って、春の陽射しに映える池を

投合しながら見つめていた。
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