桜ものがたり
 祐里は、梅雨の晴れ間に開催される真珠晩餐会へ奥さまのお伴で参会した。

 祐里の白絹のワンピースの首元には、桜色の真珠の首飾りが可憐に輝いていた。

 この首飾りは、代々桜河家の女主人に受け継がれる家宝の品で、

今宵の晩餐会の趣旨である【真珠】を身に付けるために奥さまが祐里に

貸し与えたものだった。

 桜色の真珠の首飾りは、祐里の白い肌に反射して華やいだ美しさを

もたらせていた。

 祐里は、奥さまの横で参会の奥様方に挨拶をしてまわり、会場の熱気から

逃れて風に当たるためにテラスへ出た。

 下弦の月が張り出した薄雲に隠れて朧に光る薄暗い夜の闇に加えて、

梅雨特有の生暖かい湿気を帯びた空気が辺りを取り巻いていた。

 大広間では、ちょうど管弦楽の演奏が始まり、会場の視線は管弦楽の演奏に

集まっていた。

「やっと再会できたね。この日が来るのを心待ちにしていたよ」

榛文彌は、祐里が入場した時から、見失わないように物陰から追いかけて、

祐里が一人になるのを待っていた。

 葡萄酒の杯を片手に大蛇のような視線で見据え、祐里の前に立ちはだかる。

「少し見ない間に一段と綺麗になったね。恋文の返事が届かないけれど、

今度会う時には、全てを僕のものにする約束を覚えているよね」

 祐里は、平静を装って、文彌を無視したまま脇をすり抜けたつもりが、

文彌から不意に腕を掴まれ、首を横に振りながらテラスの奥へと後退る。

 文彌は、不敵な笑みを浮かべ葡萄酒の杯を円卓の上に置くと、

祐里の細い両肩を強引に掴んで回り込み、人の目の届かないテラスの大きな

柱の後ろに押しつけた。

 そして、祐里のワンピースの襟元に手を滑らせて胸を鷲掴みにし、

文彌の唇は、祐里の柔らかな首筋を伝ってくちづけを迫る。

 祐里は、大蛇が首筋をくねりながら這い上がってくる感触を覚えた。

「君は、遂に僕のものだ」

 文彌は、熱い吐息で、祐里の耳元で囁いた。

 人々の集う晩餐会で、文彌と出遭い、まして二人きりになるなど思いも

しなかった祐里は、大蛇に睨まれた獲物のように(光祐さま……)と

こころの中で助けを求めて、諤々(がくがく)と震えていた。

 文彌の熱い吐息に意識が遠退きそうになる。
< 55 / 85 >

この作品をシェア

pagetop