春、恋。夢桜。
紅姫様は、少し淋しげな視線を落とした。


わし等を囲むただ黒いだけの空間は、それを支えているようにも見える。


「そんな時に、名乗り出たのが麗華だったそうです」

「わしが……?」


「えぇ。お話するのは躊躇われますが、麗華は長の家庭の中で、少し浮いた存在となっていたようです。

やはり血縁というのは、当時は相当の力を持っていたようですね。

そんな家庭に居づらさを感じたあなたは、長に自ら申し出たのだそうです。
自分が生贄になる……、と」


紅姫様の言葉に、わしは思わず動きを忘れた。


今、こんなにも消えることを恐れているわしが、自ら生贄になるなどとは考えられない。


「本当なのか?それは……」


「はい。長の家の居心地は良くない。そうは言うものの、長には感謝をしている。
あなたはきっと、そう考えたのでしょう。

町の人々の中から生贄を出すわけにもいかず、かと言って、自分の実の娘も生贄にしたくなかった長は、完全な板挟み状態に陥っていたそうです」


当時を思い出すように、紅姫様はゆっくりと、でも、確実に言葉を繋げておる。


わしは、相変わらず記憶にない自分の過去の話を

黙って聞くことにした。
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