Love encore-ラブアンコール-
「東谷くん、待ちたまえ。東谷くん!」

 会社のロビーに入ったところでまた一人、不愉快な人物が近付いてくる。額の汗を趣味の悪い白いハンカチで拭きながら歩いてくるその姿は、できれば朝から拝みたくない。おまけに今日はそのネクタイも群を抜いて悪趣味だ。大体奥さんはこの人をどう思ってるんだろう。それとも奥さんの趣味なのか。いつか会う機会があれば一度聞いてみたい。そんな機会は百%在り得ないだろうけど。

「何でしょうか」

「東谷くん、君ねぇ、困るんだよ、毎日そんな派手な格好で出勤されちゃぁ。何度も言ってるけどね、いくら成績がいいからって何でも許されるわけじゃないんだから」

「服装が派手だと仕事できませんか?」

「そうじゃないけど、困るんだよねぇ…僕の立場的にも。そんな格好じゃ営業に行ったって相手にされない可能性だって…」

 またいつもと同じ小言だ。そんな戯言に付き合ってる暇はない。毎日デスクに向かうだけのこの男に、あたしの仕事に口出しする権利などないはずだ。

「昨日、例の大口契約取って来ましたけど」

「えっ!? …あ、そう? ああ、そうか。じゃあ…後で報告頼むよ」

 そうやってころころ変わる態度も腹立たしくて、あたしの眉間には軽く皺が寄っているはずだ。

 いつでも背中を少し丸めて、上司の姿を見つけるとバッタのように頭を下げ続ける。その後ろ姿を見ながら思う。

 どうして今日に限って朝からこう嫌な思いばっかりしないといけないのよ。最悪だわ。

「すごい目で睨んでますね。さすが先輩」

 聞き慣れた声がまた響く。―――――本当に最悪な一日の始まり。

「そんな顔しないでくださいよ。嫌だなぁ」

「嫌なのはこっちよ。もう、今日は朝から不愉快な奴にばっかりつかまるわ」

「え、そうなんですか?」

「あんたで三人目よ!」

 エレベーターの扉が開くと、あたしはそこに乗り込んだ。

「またまたそんなことばっかり言って」

 この男は今年入社してきた新人で、気付くとやたら人の周りをうろつくようになっていた。顔が良いだけの能無しと、理屈ばかりの八方美人もあたしは大嫌いだ。

「でも俺、先輩のそういうところ好きですよ。俺の周りの女ってなんか気取っててはっきりモノを言わないんですよね。何でかなぁ」

「あんた自分に自信を持ちすぎだからそういうふうにしか取れないんでしょ」

 そういう言葉にも気のない笑顔で答える男。一体この男のどこが良くてうちの会社の女性社員たちはちやほやしているのか、その真意さえ掴めないし、この男の適当すぎるところを読めない事自体が信じられない。

 あたしとは住む世界が違う別の生き物みたいに見えて、みんな馬鹿ばっかりだと毎日諦めの溜め息をつく。


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