野辺の送り
 今まで出会ったこともない人だった。

 たいがい、程度の差こそはあれ、癌の告知は患者とその家族を打ちひしぐ。私の胸座を掴んで、泣き叫ぶ人もいた。その場で突っ伏す人もいた。一言も発せずに診察室を出る人もいた。どの人も、どの人も告知を受けて悲しみと苦悩の表情を浮かべない人はいなかった。

 診察室で、告知をされて、屈託もなく高笑いをした七十歳の彼女を私は扱いあぐねていた。常日頃だって、患者やその家族にどのような話をしていいのかわからない私に、この患者の扱いは、難しいと思わずにいられなかった。担当を代わってもらおうと安易に考えていたら、

 「先生、よろしくお願いしますね。すべておまかせいたします」
 
 と、頭を下げられていた。


 この患者は、私の一番の苦手となった。

 私が他人を受け入れられない部分は、他人も私の中に決して入ってこようとはせず、同僚や、患者やその家族との間にできてしまった隔たりに、慣れっこになっていたところだった。
 
 だから、彼女の笑顔は、私の中に入り込みすぎる。
患者になれなれしくすることは、私の中ではタブーだった。
それでも、彼女が話しかけてくる言葉はまるで、母親のようなぬくもりがある。

 
 私の母は私が完璧であるときにのみ私を認め、私の失敗をなんとか減らそうと努力する人だった。いつしか、私は失敗を恐れ、失敗しないように努力し、母に賞賛される娘であろうとしてきた。だから、親の前でくつろぐことを知らない。みんなこんなものだと思っていた。賞賛されてはじめて得られるのがぬくもりだと、信じていた。

 ある日、診察に病室を尋ねると、彼女は微笑んでこう言った。

「キリンの首は長いけれど、百メートルもないのよね。だから、首の長さの分での活動なのよ」

「イソップか、なにかですか?」

「いいえ、そうではないの。そうではないのよ。ただね、できることは限られているっていうことよ」
「ああ、そうですか。そうかもしれませんね。私はキリンの首の長さに興味

はありませんから」

それだけ言って、病室を出た。

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