柾彦さまの恋

「でも、奥さまのご希望もございましたし、

私自身が奥さまと離れとうございませんでした。

 その頃、祐里さまの産みの母であった小夜(さよ)さんが

手伝いに来ていました。

 小夜さんは、素直な働き者でございましてね。

 私も小夜さんとすぐに仲良くなりました。


 東野の籐子奥さまに家事を習い、こちらでは厳しい方ではございましが、

大奥さまの濤子さまにお料理を丁寧に教えていただきました。


 桜河のお屋敷のお料理は、大奥さまから全て教えていただきましたので、

祐里さまに私からお伝えいたしました。


 光祐さまがお生まれになり、

産後の肥立ちがお悪い奥さまと光祐さまのお世話をすることが嬉しゅうて、

結婚など考えられませんでした。

 そのうち、孤児(みなしご)になられた祐里さまが引き取られて、

旦那さまの代になリまして、いつの間にかここが私の家のように

思えまして、私は、死ぬまで桜河のお屋敷にご奉公するつもりで

ございますのよ」

 紫乃は、しあわせな微笑を湛えながら、懐かしむように話をした。


「ここが紫乃さんの家ですし、

桜河のお屋敷では、紫乃さんは、かけがえのない家族です」

 柾彦は、紫乃のしあわせをともに感じていた。


「はい、もったいのうございますが、

私は、勝手にそのように思ってございます。

 柾彦さまは、そろそろ、ご結婚でございますね。

 奥さまからお話をお聞きいたしました。

 どうぞ、おしあわせになられてくださいませ」

紫乃は、柾彦の晴れ晴れとした笑顔を自分のことのように

嬉しく思っていた。


 光祐の弟のように感じていた柾彦が良縁に恵まれたことが嬉しかった。


「まだまだですよ。出会ったばかりですから。

 紫乃さん、ご馳走さまでした。病院に戻ります」

柾彦は、照れ笑いをして手を合わせると、時計を見て立ち上がった。



 紫乃は、玄関横の車寄せまで柾彦を見送り、茜色に染まった庭の桜の樹を

見上げた。

 桜の樹は、華やいだ茜色の葉を揺らし、紫乃を労ってくれていた。


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