柾彦さまの恋
笙子
笙子(しょうこ)は、桐生屋の店先に座っていても、
いつも柾彦のことを考えていた。
柾彦の爽やかな笑顔が目に浮かんで離れなかった。
「笙子、先程から何度も呼んでいるのに返事をしないけれど、
どうしたのかね」
桐生弦右衛門(げんえもん)が、笙子の前に立った。
「父上さま、申し訳ございません。何かご用でございますか」
笙子は、我に帰って弦右衛門を正視した。
「先程から、その反物にばかり触れているけれど、気に入ったのかね」
弦右衛門は、笙子がここ一週間ばかり、接客にも身が入らず、
夢うつつの表情をしているのが気になっていた。
大人しい性格の笙子ではあったが着物の見立てには定評があった。
店は、長男の颯一朗(そういちろう)が継ぐ事になっているが、
着物好きの笙子に婿を取って暖簾を分けてもいいと常々考えていた。
「申し訳ございません、考え事をしておりました」
笙子は、弦右衛門の厳しい表情に恐縮して、頭を下げて謝った。
「お嬢さま、そちらの反物は、私が棚に戻しましょう」
すぐに見兼ねた倉三郎が助け舟を出してきた。
「お願いします」
笙子は、倉三郎に反物を差し出した。
「考え事があるのならば、今すぐ奥に下がりなさい。
お客さまに失礼になるからね」
弦右衛門は、厳しく笙子を諭した。
「はい、父上さま」
笙子は、涙ぐんで奥に下がった。