柾彦さまの恋
「突然来てしまったので、家の方が心配されるだろうから、
一度、家まで送りましょう」
柾彦は、桐生屋の方角に車を進めていた。
「はい。でも……」
笙子は、家を気にしながらもこのまま柾彦と過ごしたいと思っていた。
一度、家に戻ると父に反対されるような気がしていた。
「でも、どうしたの」
柾彦は、先程自分に熱い想いをぶつけて来た笙子の普段の大人しさに
再び触れた。
「先日、お店に出ている時に柾彦さまのことを考えておりましたら、
父から『こころ、ここにあらず』と叱られましたので……」
笙子は、再び哀しい顔をして俯いた。
柾彦は、笙子を冬山に返り咲いた菫の花のように感じていた。
いじらしく可愛らしい笙子を小さな菫に例えて、寒風から両手で
包み込むように守りたいと思い、後部座席でしおらしく座っている笙子に
声をかけた。
「それならば、父上さまにきちんとご挨拶をするよ。
その前に笙子さんの気持ちを聞くべきだよね」
柾彦は、車を路肩に停めて後ろを振り向くと、
真剣な表情で笙子を見つめた。
「笙子さん、ぼくとお付き合いをしてください」
「はい。柾彦さま。よろしくお願い申し上げます」
笙子は、胸の中でしあわせの花が一斉に開花するのを感じながら、
返答した。
柾彦は、にっこり笑って、前に向き直ると車を発進させた。
昼過ぎには売り切れる桜屋の桜餅を結子から頼まれて、
偶然にも助手席に積んでいたことを幸運に思った。