冬うらら 1.5

 あの社長、だったからだ。

 彼とプライベートなことは、一切話したことがない。

 仕事以外で、まっとうなコミュニケーションを取ったことがないのである。

 いつも、相手からの一方的な言葉を投げつけられるだけだった。

 社長が本当は何を考えて生きているのか、ちっとも理解できない。
 ワンマンで、強引で、粗暴で、それから―― いや、いまはそういう話ではなかった。

 とにかくそんな、内側をよく知らない相手だからこそ、一般的に考えたら突拍子もない出来事でも、『もしかしたら』という疑惑になるのだ。

 ブツッ。

 社長室と通じた音がする。

 呼びかけると、やはり不機嫌な反応が返ってくる。

「その…失礼なことかもしれませんが、社長…社長は、ご結婚なされていましたか?」

 しばらくの沈黙の後に、相手から帰ってきた答えは。

『仕事とは関係ねぇだろ』、というものだった。

 リエは、言葉にちょっと引っかかった。

 否定でも肯定でもなかったのだ。

 しかし、いま忙しいという波動がはっきりと伝わってきて、そんな話題に付き合うのはお断りのようだった。

 彼女としても、これ以上話題を続けるのは得策ではない。

「そう…ですか。いえ…いま、社長の奥さんとおっしゃる方からお電話が入ってまして…ちょっとご確認が必要かと思いまして」

 ただし、わざわざそんなくだらないことを確認するためだけに、内線を開いたのかと思われたくなかったので、簡単に事情を説明する。

 噂好きの女性社員と、ひとくくりにされたくなかったのだ。

 これで説明は終わりだ。

「何か切羽詰まったようは声の女性でしたが…では、会議中とでも伝えてお切りしましょうか?」

 もう、リエは電話を切るつもりでそう言った。

 一応、確認の形は取っているが、どうせ社長からの返事は『勝手にしろ』とか、そういうものに決まっているのだから。

 受話器を軽く耳から離しかける。

 あと一言くらい言葉を言って、電話を切ろうと思っていたのだ。
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