【B】明日は来るから 【優しい歌 外伝】
「神楽ちゃん、少し落ち着こうか。
こっち来れる?
真人君が心配しちゃうよ」
そう言って、
勇生君は私を空いていた個室へと連れて入る。
「何があったの?
あの女、まだ神楽ちゃんに嫌がらせするんだ」
怒りを露わにして、
ベッドのマットを拳で叩く勇生君。
「大丈夫……。
私が真人とここに来てしまったから。
でも……家族を壊したいわけじゃない。
祐天寺さんがして来たことは、許せないけど
だけど私も、そう思われても仕方がないことはしてるの。
愛することが出来た存在が、恭也しか居なかっただけ」
ある意味、
私はあの人に復讐してるのかも知れない。
恭也の心が私にあることを知りながら、
一生愛されない家族で
居続けることを強要してるのだから。
「勇生君、ごめんなさい。
真人をお願いしていい?
今のままで、
真人の前には行くことは出来ないから。
今日はタクシーを拾って帰ります」
今も病室のベッドで少し休んで、
恭也が来るのを待たせようとする勇生君を
振り切って、病室を出る。
「結城さん。
大丈夫ですか?」
気遣ってくれる浦和さんに会釈をして
真人の事を頼むと、
真人が眠る病室の方向に少しだけ視線を向けて
私は病院を後にした。
ロータリーの前でタクシーを拾って
マンションへと戻る。
正直マンションに帰るのも怖い。
もう一度、
果物ナイフを手にして
祐天寺さんが現れたら……。
そう思うだけで、
体が震え始める。
目を瞑ってひたすら耐え続ける
恐怖との時間。
「お客さん、着きましたよ」
そう告げられたタクシーの運転手の声に、
周辺をキョロキョロと確認して、
祐天寺さんの人影がないことを確認する。
「有難うございました」
慌ててお金を払って、
私はマンションの中へと駆け込んだ。
エレベーターに乗って、
借りている部屋の階数を素早く押す。
チンっと音を立てて開いた
その向こう側、姿を見せたのは
祐天寺さんに付き添っているはずの
恭也君だった。
「恭也君……」
名前を呟いた途端に、
体の力が抜けていく。
「神楽さん」
恭也君に
抱きとめられる私。
涙が零れた……。
必死に耐えようとしていた
恐怖から、解放された瞬間。
何度、すすっても
止まることがない涙が
頬を伝って、服を濡らしていく。
「ごめん……。
神楽さん、怖かったよね。
アイツには、病院の出入りを禁じたから
もう立ち入ることはないと思う。
神楽さんにも真人君にも、
危害はもう加えさせないから。
真人君の病室も、
アイツが知らない場所へと変更した。
病室に近づけるスタッフも、
信頼できる存在だけにしたから」
そう言いながら、
抱きしめながら、
何度も何度も私の背中を
摩っていく。
彼の指先から伝わる
その力強い腕を少しでも深く
自分の中で刻み込みたくて。
今だけ……
この温もりに甘えさせて。
朝になったら、
また自分の足で力強く歩き出すから。