僕はショパンに恋をした
すると彼女は、そわそわと聞いてきた。

「あの、違ってたらごめんなさいね。あなた八月桐儀さん?」

「え…?ええ、そうですが…。」

きゃ〜っと彼女は嬉しそうに、ペンと何やらパンフレットを差し出した。

「サイン、お願いできますか!?」

あまりの勢いに、圧倒されながらも受け取った。

よく見れば、一昨年のイタリア公演のパンフレットだった。

「これ…。」

「主人の転勤でイタリアに住んでた時に、日本人のピアニストがリサイタルするって聞いて、聴きにいったの!」

その日本人というのが、俺だったと、彼女は言った。

「その時の演奏に感動しちゃって、もうそれから、娘と二人でファンなんです!」

俺がパンフレットに書いたサインを、うっとり見ている。

「その、どこが…、気に入ってもらえたんでしょうか…?」

いつもなら、ファンですとか、感動しましたとか、そういう言葉は、さらっとかわしてきた。

正直、邪魔臭いと思っていた。

でもこの時俺は、らしくなく、さらりと流せなかった。
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