奥さんに、片想い
彼の何もかもが切なく胸に突き刺さる。
優しさも厳しさも、全てが愛しいから余計に哀しい。
千夏を思っての叱責と労り、嬉しいのに哀しい。
彼がいないと頑張れない自分は、まだ大人じゃない。
そう思った。『貴方がいなくちゃ、私、頑張れない』、千夏の頑張りは彼への依存に過ぎなかった。まるで愛を受け止めてもらえなかった少女のようにあっという間に崩れて泣いているだなんて……。
足早に下りる階段。涙を拭って、なんとか人に見られないよう会社を出ようと思った。
「落合主任……?」
下から聞こえてきたその声にハッとし千夏は階段の中腹で立ち止まる。
見下ろすと、そこにはあの河野君が……。
「ど、どうしたんすか。なにか、あったんですか」
千夏の泣き顔を見て、困惑した顔。彼らしい心底心配してくれているとわかる目と合ってしまう。
こんな時、彼と話す気なんかない。説明する気もない。もう彼とはケリをつけたんだから、いちいち話したくない。ただすれ違うだけのただの同じ会社にいる人間同士に戻ったんだから。
なのに彼が長い足で階段を駆け上ってきて、千夏の前に立ちはだかった。
「千夏さん」
名前で呼ばれた。そして彼がとても緊張した顔で千夏を見下ろしている。
身体が大きいからそんなに真っ正面に立ち塞がれると千夏なんか隠れてしまいそう。そんな大柄な彼の手が千夏の目の前に……。
「あの、あの」
その手が震えている。でもその両手が最後にはがっしりと千夏の両肩を掴んだ。
すごい力、肩が痛い。
でも大きな手が千夏を捕まえて放さない。
「どうしたんですか。主任が会社でそうなるってよっぽどでしょう」
「……けい、ないじゃない」
「そりゃ、関係ないけど。でも、やっぱそんな顔見せられたら放っておけないですよっ」
「……な……してよ」
「いいえ、放せません」
涙声でくぐもっていても、何故か河野君はしっかりと千夏の呟きを聞き取っていた。
「帰りたいの。放して」
河野君の大きな手が、千夏の肩から離れる。そして彼自身も千夏の前から引き下がった。