奥さんに、片想い
古ぼけた黒いバッティンググローブ。
それがあの大きな手にはめられる。
太いけど長い手が銀色の金属バットを握った。
白いシャツ姿のままなのに、そこに立つ男は会社員ではなく既にアスリートの横顔。
バッティングフォームが整うと、目にも止まらぬ物が彼へと向かってくる。
その時、いつも笑っているにこやかな細い目がぐっと険しく強く前を見据えられ、彼がバットを豪快に振る。
『カキーン』と空高く鳴る音。ナイター照明の煌めきに吸い込まれていく白い球。もの凄く力強く返されたはずなのに、まるでふわりと軽く宙に浮いたように見えた。
それから彼こそがマシンのように、乱れないフォームでバンバンと打ち返していく。ピリリと高まる気迫の横顔も崩れない。
「すっげー、河野さんやっぱ格好いい」
「あのスピードを連打かよー。やっぱ商業野球部出身はスゲー」
コンサル室の彼等もすっかり魅入っていた。
「俺、さっきやったけど全然ダメだったもんな」
「俺も。フォームを教わってもさっぱり。やっと打てたと思ったら小学生エース級の速球レベルだってさあ」
既に打席にてチャレンジした彼等は、緩やかなスピードに落としてやっと打ち上げられた。
何球か打った河野君が緑のネットに囲まれた打席から帰ってくる。
「よーし、今度は僕だ」
最後は佐川課長。彼も意気揚々とバッティンググローブをはめようとしていたので、千夏は驚いた。
「課長まで、それをするんですか」
「うん。やっぱ、格好良いもんな。僕もやってみたくて。こうやって、ぎゅっとはめるの」
経験もないのに、河野君と通っているうちにかなり嵌ってしまい、ついに自分専用のグローブまで買ってしまったとのこと。