奥さんに、片想い
さて。その佐川課長の進歩やいかに。彼がバットを持ちフォームを整える。
さっきの河野君のようにざっと男らしく力強い姿で綺麗に白球を光の中へと打ち返す姿を期待し……
「あ、くそっ」
バットを振ったのに、球は佐川課長の背後、床に転がり落ちていた。
「うーん、このやろっ。それっ、よっしゃー、当たった!」
ヒットしたが手前に球が飛んだだけで地面に落ちコロコロ。飛距離はそんなにない。
だいぶ遅いスピードの球のはずなのに、佐川課長のヒット率はかなり低い。
まさに『運動出来ない男』の姿が本人の自覚通り、嘘偽りなくそこにあった。
「……やっぱ、課長は俺らといっしょだったな」
「うん。なんか河野さんが簡単に打っているから、いっしょに通っていた課長も出来る絵を想像していたけど。元球児と同じようにはできないわな」
若い彼等のホッとしたような、ちょっと呆れたような顔。
オフィスでは手際よく頼りがいある穏和な男性だが、向かうところが違うと本当に『ただの男性』に見えた。
なのに……。やってみたかったのひとつで、あのバッティンググローブを買ってしまったのかと。なんだか少年のようで、千夏はつい笑ってしまいそうだった。
「はー、駄目だ。全然、上手くならない」
課長がため息をついて帰ってくる。
何球かポクポクとヒットしたが豪快な当たりはナシ。
撤退してきた課長は、もう息を切らしていた。
「ちょっと休もうか。あっちで冷たいものでも飲もう」
早速リタイヤ宣言をした課長だったが、若い彼等はもう飽きてしまったのか『いこう、いこう』と課長についていく。
「河野君は、まだ打つだろう」
「はい」
「落合さんもやってみたら。河野君、教えてあげて」
いつもの笑顔の佐川課長だけれど、二人きりにしてやろうという魂胆丸見え。
「いや……、でも女性の主任は……どうかな」
遠慮する河野君の声がとても乱れていた。
息切れなんかしない力強い運動をしていたのに……。
『無理強いはしない。もう二人きりになっては彼女の負担』。そう気遣ってくれているのがすごく伝わってくる。
……今日、私は彼を避けるために来たんじゃない。だから。
「教えて。せっかく来たんだもの」
きっぱりした千夏の返答に、佐川課長はニンマリとし河野君はやっぱり困った顔をしていた。
「教えて」
千夏もバットを持った。
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