奥さんに、片想い
「来た、今度は来る!」
課長の声に千夏も頷く。
明らかに先ほどとは違う速さで飛んでくる球を見た瞬間、もうぐんっと目の前に迫っている。
「そこだ! 落合さん、ミットを閉じて!」
素直に聞き入れ、千夏はミットを閉じた。
「きゃあっ」
「うわっ」
手元に鈍い衝撃、さらに千夏の顔めがけ白い塊が襲ってきた。その恐怖で千夏はよろめいてしまった。
球はど真ん中には収まらず、ミットに当たって跳ね上がったのだ。それは佐川課長にも向かっていったので、二人そろって地面に手をつき座り込んでしまっていた。
「うっわ。いきなり調子を出すな。河野君ったら。でもアウトだ」
ふうっと速球の驚異から逃れ安堵の息をつく佐川課長。同じくデッドボールを免れた千夏も息を切らしていた。
『千夏さん! 大丈夫ですか!!』
今度は届いた。でも素人の女にはうまく捕れなかった。
だがこれで千夏は確信した。先ほどの第一球、彼は千夏に当たるのが怖くて、手加減をして投げていたのだと。そして今度は最後のチャンスだろうから、千夏を信じて思いっきり投げたのだと。それがこの送球――。ちゃんと届いたではないか!
「さては。手加減していたな。さっきの――」
球を拾いに行ってくれた課長も気がついていた。
「千夏さん!」
河野君が真っ青な顔でこちらに走ってくる。
「来ないで!!」
千夏の一声に、彼の足が止まった。
「課長、ください」
「うん」
拾ってきた球を、課長も強く頷いてて手渡してくれる。
千夏の一発勝負などもう意味がない。
この一球一球に意味があるから、続けるのだと判ってくれている。
「河野君、もう一度ーー!」
また非力な腕で球を投げる。
案じて走ってきてくれた河野君が立ち止まっているその位置にさえ、千夏の送球は届かない。力無い女の球がぽてんと地面に落ち、彼の足下に転がっていく。
そして千夏は再び、ミットを手に跪き構えた。課長も後ろに。
「さあ、こいっ」
かけ声をする。遠くで河野君もまたボールを握りしめ……。だが彼も夕暮れのボールをじっと見つめている。