奥さんに、片想い
彼は何を今、思っているのだろう? どのような思いをボールに話しかけているのだろう?
待っている間、千夏の胸が騒ぐ。男性が何を思っているか、それを考え緊張している自分がいる。彼のことも気にしている自分がいる。
待っていると、どうしたことか河野君は構えず、ボールを持ってこちらにゆっくり歩いてきた。
え、やめちゃうの?
密かに慌てた。そりゃ、一発勝負と言っておいて二度目を要求して、なおかつ三球目も。しかも送球距離を千夏から勝手に縮めた。でもズルをしようと思った訳じゃない。諦めて『これなら出来る』と安易に放り投げた訳じゃない。
ただ、ただ……『140キロの球を打ってやるのよ』と無茶ぶりをするあの自分と同じだと判っていたから。100キロに黙って落としてくれたから打てた。そこで自分の力を知った。それなら出来ることを教えてもらった。だから今度も……。
でもこちらに距離を縮めて戻ってくる河野君の顔が『もうこんな勝負やめましょう。結果は出たじゃないですか。俺、もういいです。終わりにしましょう』と言っているように見えてしまう。
ボールを持ってここまでやってくる彼がそう言い出すのではないか――。
千夏は息を呑み、彼が歩いてくるのをただ見ているだけ。
しかし、あるところで河野君が立ち止まった。
「行きますよ。千夏さん」
握ったボールがグローブに隠れ、彼が投球へと構えた。
その位置は。千夏が投げてボールが落下する距離、位置だった。
「千夏さん。バックホーム並の投球が出来なくてごめん。たぶん俺、いま自信を持って貴女に届けられる位置はまだここみたいです」
確実に。千夏のミットにど真ん中に届けられるのは『ここ』。
本当はもう少し遠くからでも届けられると思う。
でも千夏には通じた、伝わった。河野君が投げた球が落ちた位置に距離を近づけたように、河野君も千夏の力で届く距離と位置を選んでくれたのだと。
通じたことも、気持ちを判ってくれたことも。それだけで嬉しくて、嬉しくて、もう涙が滲みそうになった。
「思いっきり投げますよ。千夏さんは構えるだけ、でもちゃんとミットを閉じて捕ってくださいよ」
「わかった」
もう叫ばなくても互いの声がよく聞き取れる位置。
それほど狭まった距離で二人はそれぞれに構える。
「行きます」
胸に構えられたグローブ、足を上げ振りかぶる彼。
それを見て千夏もミットを構える。