奥さんに、片想い



 この距離から始めよう。
 今の二人はこの距離じゃないとキャッチボールは出来ない。
 でもそのうちに、遠くにいても何でも分かり合えるほど気持ちがきっと通じ合う。それをこの距離から――。

 熊君の長い腕がぶんっと唸る。それとほぼ同時だった。

 ――ズバン!

 閉じたミットにボールの感触はない。
 あるのは衝撃的な『しびれ』。
 ずうんっと千夏の腕から肩、そして首を駆け上がって脳天に響いた気がした。

 びりびりとする手のひら――。これが、河野君のおもいっきり。

「すごい……」

 重くて、そして身体中にびりびりする波動に千夏はもう泣いていた。

「捕れたね」

 後ろから、肩を優しく叩いてくれた男性の優しい声にも泣きそうになった。

「千夏さん……」

 それで。その球を捕ってくれて。じゃあ、俺達はどうなるんだ――。
 そんな途方に暮れた河野君が佇んでいる。

 千夏もボールを手にとって、ゆっくり立ち上がった。

「河野君。すごかった。ずうんってびりびりって来た」

 あふれてくる涙をそのままにして、それでも千夏はほほえみ、そのボールを彼に差し出した。

「実感がずっと湧かなかったんだけど。人の気持ちに鈍くなっちゃって、実感できなかったんだけど……」

 そっと歩きながら、立ちつくしている彼の前へと千夏から向かう。
 彼の前に来て、千夏はその受け取った球を彼の大きな手のひらに返す。

「河野君、私、貴方のこの直球の重さと威力、このしびれ。貴方の想い、きっとずっと忘れない。すごく嬉しかった。有り難う」

 まだ彼は途方に暮れ、困惑した顔をしていた。でも、白い球を握った途端。

「やっぱり俺、貴女のこと大好きです。これっきりなんて絶対に嫌だ。嫌だ、嫌だ」

 大きな両腕にがっしりと抱きしめられていた。
 だけど、もう千夏も。そっと笑って彼を抱き返していた。

「こんな私ですけど。よろしくお願いします……」

 涙声でつぶやくと、千夏を胸から離した河野君がとても驚いた顔で見下ろしていた。

「俺、良い旦那になれるよう頑張りますから」

 またすっぽりと包まれ、今度は優しく抱きしめてくれる河野君。
 大きな手で初めて頭をなでられ、頬ずりまで。でもそれが柔らかくて優しくて、千夏もその大きな手にいつまでも触れていて欲しくて彼の胸にしがみついてしまっていた。





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