奥さんに、片想い
まだまだ実績少ない青年実業家の坊ちゃん会社。親父さん担当の部長にいちいち繋げたのでは、これから部長が息子社長に対しても担当紛いのことをすることになりかねない。なので『担当は担当』という鉄則はなるべく守るのがベストな顧客対応。
だが今回は若社長とはいえ少々怒り方が半端ではなかったため、まずは『スムーズな事態収拾』を優先にと思い、直接部長に報告をあげた。
しかし若社長と対話中のこと。激しい叱責に荒れ狂う若社長の怒鳴り声を聞きながら目の前の顧客情報ファイルを開いた時、そこに出てきた営業担当者欄を確認した僕が一時フリーズをしたことは誰も知らない。若社長の営業担当者は、例の年下男だった。
このクレームを直に営業部長に報告すると決めた僕の判断に、躊躇が生じた瞬間。これをすれば、現営業担当者をないがしろにし、それどころか顧客とのトラブルを内々に処理する時間も与えられずに、上司にしかも営業トップの部長に知られてしまうことになる……。彼はきっとこの失態が暴かれることを、僕のせいにするだろう。僕がここでもう少し踏ん張って通例通り担当者の彼に繋げば、彼は若社長の怒りを鎮めるチャンスを得られるし、部長に知られる前に鎮火させることも出来るかもしれない。
だが僕が躊躇している間も、青年社長の怒りは尋常ではなかった。そのうえ『あの担当では駄目だ。あいつをこっちにこさせるな』という勢い。逆にここで電話を切られたらやっかいなことになる。……元々、彼が担当だと判明する前から僕の判断は決まっていた。『誰であろうと、このクレームは営業部長に報告する』と。
僕は自分の直感で下した判断を信じて、営業部長に報告したのだった。
「有り難う。所長もそちらの課長も、佐川君の判断に異存はないから安心して良いよ」
「恐れ入ります。僕も安心しました」
上機嫌の部長にも『結婚、おめでとう』と笑顔の祝福を受けた。
その日のうちに、事は起きた。
青年社長の凄まじいクレームの大波も収まり、女の子達も和やかにいつものコンサル業務に勤しんでる静かな午後だった。
いつもの中休みに、僕は男性社員がたむろする喫煙室へ向かう。僕は煙草は吸わないが、カップコーヒーの自販機があるのでいつもここで砂糖少なめのエスプレッソを飲むのが日課だった。
「佐川さん。ちょっといいですか」
休憩室の入り口に、営業の彼がもの凄い形相でそこにいた。
「どうして俺に繋げてくれなかったんですか!」
前置きも何もなく、そのまま彼は僕のところまで一直線。気が付いた時はもう、彼が拳を振り上げていた。