奥さんに、片想い

 自分の正義の刀が、自分自身に返ってくる。三十の女は引っ込んでいろ。もう魅力なんてないんだから勘違いしていないで引っ込んでいろ。昔、誰かを刺した言葉が自分に跳ね返ってきた瞬間――。
 ついに落合さんが『うわああん』と泣き出してしまった。それにも誰もがギョッとした顔を揃える。もうどこにも逃げ場がなくなった子供が泣き出したような光景。
 周囲は、ピーピーと鳴り響く席ばかり。
 泣きわめく三十女。呆然としているコールオペレーター達。放置されているコール音。あちらからもこちらからも、ピー、ピー、ピーと呼んでいる。

 呆然としたままの僕は……。
 目にとまったヘッドホンを無意識に取っていた。
 目の前の着信が響くデスク。そこへぼうっとしたまま座り込む。
 頭にヘッドホン。手にはマウス。カーソルは『着信』ボタンへ。すべて無意識、身体が覚えている動作。

「お電話、有り難うございます。コンサルティングサービスの佐川と申します。はい、はい……。かしこまりました。只今、お客様のご契約内容を確認させて頂きますのでお名前とお電話番号を……」
 愛ちゃんの席で僕はインバウンドの業務を始めていた。身に染みついている僕のこの仕事を。
 係長自ら女の子の席でいきなりコール受付をこなす姿を見て、女の子達も次々とヘッドホンを頭に着け直し席に戻っていく。
 やがて騒々しかったコール音数が通常に戻っていく。
「係長。ごめんなさい、ごめんなさい。私が失敗しなければ落合さんにあそこまで言われなかったのに……」
「かしこまりました。では来月からはこちらのプランに変更ということでよろしいですね。本日こちらにて登録変更させていただきまして、数日後、改めて紙面においての『確かに変更致しました』というお知らせの通知を郵送させて頂きますのでご確認を――」
「ごめんなさい。係長」
 自分の席で係長の僕がまるでロボットになったかのように何件も何件もコールを受け付けていく間、愛ちゃんはずっと後ろで泣いていた。
 泣いていたのは愛ちゃんだけじゃない。落合さんも。そんな彼女を外へと連れ出してくれたのは田窪さん。本来は僕がすべきことなのだが、コール受付ロボットになってしまった僕が、だからこそどれだけ取り乱しているか田窪さんだけが上手く察してくれたようだった。だから僕の代わりに――。
 そして僕の心も泣いていた。僕がまとめてきたコンサル室がこんなにぐちゃぐちゃになったのも初めてだったし……。そして……美佳子のことも。

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