奥さんに、片想い
「お帰りなさい。徹平君」
いつもの彼女が出迎えてくれる。華やかなOLだった時のような艶をなくしてしまったけれど、まだそこはかとないしとやかな女の香は漂っている。
そんな美佳子を一目見て、僕は靴も脱がずに妻に抱きついた。
腕の中、固く固く妻を抱く。
「徹平君?」
玄関先でいきなり抱きつかれ、しかも腕を固く結んで離してくれない夫に戸惑っている美佳子。
彼女の身体の柔らかさを実感しながら、妻の耳元の柔らかく甘い匂いを吸い込み、僕は囁く。
「この前は、先に寝ちゃって悪かったよ。ごめん」
「別に……。仕事であれだけ気を遣っているんだもの。疲れていたんでしょう」
物わかり良い返事。本当は誘った男が約束を破って、彼女なりに心を痛めていただろうに。
「今夜、僕と一緒に寝れてくれよ。側に隣りにいてくれるだけで良いんだ」
「どうしたの。なんだか、この前もおかしかったわよ。徹平君」
「嫌なことがあったんだ。今日も、嫌なことが」
『え』と驚く小さな声が、今度は僕の耳元に。
僕はいちいち妻に愚痴をこぼしたりしない。嫌なことがあったと家に帰って妻に憤ることもない。だから僕から『嫌なことがあったんだ』なんて妻に寄りかかったので美佳子も驚いているのだろう。
聞かれる前に僕は続ける。
「美佳子。美佳子と一緒にいたいよ。美佳子と眠りたい」
そしてまた。彼女からの言葉を聞く間も与えず、僕は固く抱きしめている腕の中、妻の顔を強引に傾けてキスをした。
「てっぺ……」
言葉も言わせない。それぐらいの気強さで、まるで妻をねじ伏せるかのように。
でも。腕の中の彼女がぐったりと僕の身体にすべてを預けてきてくれた。
「やだ、なに。これ……どういうこと」
唇を離すと、ぼうっとした美佳子が潤んだ黒目で僕を見つめてくれている。
もう華やかなOL女子ではない、飾り気のない子育て中の主婦だけれど。そんな女の顔をしている妻は艶っぽかった。