奥さんに、片想い
きっと美佳子が一番言われたくないことだと思う。それを後ろ指さされてこれから言われる。その屈辱を、レッテルを自ら貼るぐらいなら、もしかしたら……と僕は最後の期待を込める。
「美佳子。本当にいいんだな」
「いい。それでもいい」
驚いた。説得の余地もないほど、美佳子はきっぱりと返してきた。
夫として思う。彼女がそう間髪入れずに切り返してきたならもう駄目だと。
主婦になって弱くなったのか、それとも甘い主婦というレッテルを貼られる以上に嫌なことがあったのか判らない。
だが僕が惚れた美佳子はこんな女じゃなかったと信じたい。あの時、会社で悪女のように仕立てられた時だって言い訳もせず喧嘩の土俵にもあがらず、ぐっと我慢して耐えていた女性だ。その彼女が頑張れないとここまで追いつめられて泣いているのだから。
「いいよ。無理しなくても。辞めな」
僕がすんなり許した途端、美佳子はテーブルに突っ伏して泣きに泣き崩れ、わんわんと泣いた。その泣いている間、妻は僕に何度も詫びていた『駄目な妻でごめんなさい、ごめんなさい』と何度も。
あの時がフラッシュバックする。疫病神だとわんわん泣いた新婚時代の妻。
若干三ヶ月。妻の再就職は儚く散った。
―◆・◆・◆・◆・◆―
青天の霹靂だった。
「本部法人コンサルの課長候補になっているとのことだ。勿論、内示が来たら引き受けてくれるよな」
長年、僕を育ててくれた課長にミーティング室にわざわざ呼ばれ、向き合ってすぐに告げられたことはそれだった。
女性達がインコール業務を懸命にこなしている勤務時間。午前の集中している時間帯。誰もが通路も通らず、ミーティング室にも近づかない静かな時だった。
とても天気が良い日で、このミーティング室から見える故郷の山々が少しだけ山頂に雪をかぶっていて綺麗に際だっている。そんな穏やかな小春日和の陽射しが僕と課長を窓辺で包み込んでいる。シンとした静まりかえった空気の中、僕はただ恩師でもある課長を見ることしかできなかった。
「いえ、僕など……」
「法人担当のコンサル室の課長だぞ。コンサルティングを勤めてきた男にはエースの部署じゃないか」
「でも、僕は」
「なかなかないチャンスだと思う。これを逃すと俺みたいに支局の万年課長で終わるぞ」
ふっと課長が苦く笑う。
僕としては考えられないことだった。