奥さんに、片想い

「あの男、とっても執念深い男よ。徹平君が、私みたいに追い込まれてせっかくの室長の座を追われるなんてことになったら、私、私……」
 それは僕も懸念していることだった。彼と仕事をするにはあまりにもリスクがありすぎる。僕が頑として自分の立場を守ろうと、真っ向勝負を挑んだら、きっと僕も沖田も傷だらけになることだろう。そしてそれは職場の空気を乱すことにも繋がるはずだった。
「徹平君がその内示を受けて頑張ってくれるのも嬉しいけど、貴方が傷つきながら私達を守ってくれるのは耐えられない。でも……だからって辞退なんてしたら、私……私と結婚したことが間違いだったって……私を、私のあの時の愚かさと浅はかさを呪うわ。自分を殺してしまいたい!」
 僕の紺色のスラックスが熱く湿ってくる。美佳子の涙をいくらでも吸い込んでいく。
 すべて、美佳子と沖田が関わって繋がっている僕たちは。そしてそれはずっとついてくる。
 僕はそれでも片思いだった女性が美佳子が隣りに寄り添ってくれた時の幸福感を忘れない。今だって……。


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 答が出ない。
 あれから数日。美佳子が精神不安定になってしまい、夜も眠れなくなってしまったようだ。
 僕の昇進の足枷になっている自分を酷く責めている。僕がどんなに『大丈夫だって、僕たちを信じてくれている味方もいるんだから』と言ってもだった。
 僕が課長になってもならなくても、美佳子は気に病むだろう。でもどちらかを選ばねばならない。どっちを選んでも美佳子も僕も苦しむだなんて……。

「佐川係長」

 今日も変わらずインコールが鳴り響く中、僕は専用デスクでデーター入力。そこへ、あの落合さんがやってきた。
「なに。クレームでもあった?」
「いえ」
 あれから五年。僕は変わらないが、やはり周りだけが変わっていく。それはあの魔女のようだった彼女すらも。
 あんなに激しかった彼女も、今では誰よりも周囲を気遣える気の利いた女性になっていた。そんな彼女だから気づいてしまったようだ。
「なんだかここのところ、お疲れではありませんか」
「そうかな。僕はいつも通り……」
 彼女が呆れたように笑う。
「係長っていつもそうですね。何事にも『僕はいつも通り』と何が起きていても、平気な顔をしてしまうんだもの」
 僕のことをよく見ている女性がいるとしたら、美佳子と、お母ちゃんの田窪さんと、そしてもう一人増えてこの落合さんだ。

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