奥さんに、片想い
いつもニコニコしているだけの彼の険しい横顔。彼がそのまま胸ポケットからボールペンを取り出し、千夏のデスクにあるメモ用紙に何か記した。
日時と、電鉄の駅名が記されている。
「ここで待っています。来ても来なくても」
それだけ言うと、彼が背を向けてしまう。
「い、行かないから。待っていなくて良いから」
早い内に断っておけば、彼だって無駄な労力を使わなくて済む。
だけど、次に千夏が見た彼は、やっぱりいつものにっこり笑顔に戻っていた。
「主任。野球はですね。9回裏2アウトからが勝負って言われているんですよ」
だから、待っている。俺、諦めません!!
好きな男がいても来てください!
そんな顔でニコニコしている年下の元球児。
もう千夏には全てが予想外で、何故か身体がかあっとしていた。
だってだって私の大人の女としての余裕って、全然どこにもなくなっている。
全然大人の女じゃない。素直な彼に気圧されているのは年上の私?
「ただいまー。お待たせー」
なに食わぬ顔で、佐川課長が帰ってきた。
千夏は急いで荷物をまとめ、今の顔を課長に見られないよう、逃げるようにコンサル室を飛び出していた。
バカ! 野球と恋を一緒にしないでよ!
なにが9回裏2アウト、よ!!
まるで頑張れば、そこから奇跡が起こせるみたいな言い方。そんな上手い話があるわけない!
ぜったいにぜったいにぜったいに。あんなに素直な彼と、こんな私が上手く行くはずない!