奥さんに、片想い
「そうなんです。佐川課長は美味しいお店をいっぱい知っていると評判だったもんで」
確かにその通り。車が大好きな佐川課長はドライブも大好き、だから道行く度に飲食店に入っていくうちに自然と美味しいお店を知ることになったとのこと。
独身時代からの課長の趣味で、本部の女の子達もしょっちゅう課長に『何処のお店が美味しいですか』なんて聞きに来ているぐらい。
そういう課長に、美味しいお店を尋ねるのは同じ会社にいる者として当たり前なのかも知れない。
でも、彼は千夏が課長を好きだと言うことを見抜いている。
それを分かっているはずなのに、千夏が片想いをしている男からデートの行く先を教えてもらった――ということらしい。
ちょっと腹が立ってきた。
千夏はついパタリとメニューを閉じてしまう。
そして、ここで言いたいことハッキリ言ってやろうと思った。
昨夜から用意していたあれこれ。私の過去に、課長への気持ちも。そして今どうしたいかも。さあ、言ってやる!
「あっ。課長に騙された!」
意を決した千夏より先に、彼が叫んだのでびっくりその口が閉じてしまった。
彼がちょっと怒った顔で、メニューをばたりとテーブルに強く置いた。千夏が怒る前に、何故か彼が怒っている?
「ど、どうしたのよ。河野君」
「課長から、『鯛飯が美味い店』だと教えてもらったから、ここに決めたんですよ!」
「そ、それがどうかしたの? 美味しそうじゃない」
メニューには美味しそうな鯛の釜飯と彩り綺麗なお膳のセットメニューが並んでいる。千夏も見ただけで食べたくなったというのに。
「どこが騙されたのよ」
あの課長が騙すってなに? すると河野君が釜飯の写真を指さした。
「俺にとって、鯛飯ってやつはこういう釜で炊いたやつじゃないんです」
「あ、河野君て。もしかして南部地方の出身?」
「そうですよっ。俺の実家の鯛飯は、刺身に生卵に出汁醤油と薬味を乗っけて食べる飯のことを言うんです」
「こっちの中部地方で鯛飯と言ったら釜飯でしょ。それって『ひゅうが飯』のことじゃないの」
「俺の実家では、ひゅうが飯のことを鯛飯て言うんです。騙された。佐川課長に――。ひっさしぶりに俺の鯛飯食えると思ったのにーーー」
本気で悔しがっている彼を見て、ついに千夏はお腹を抱えテーブルに突っ伏してしまった。
「やだ。あの佐川課長に騙されたなんて、聞いたことがない! 河野君ぐらいじゃないの」
「えー、おかしいですか? 課長は俺が南部の出身だって知っているから、分かってくれていると思ったのに」
俺、結構本気で怒っていると真顔で言うので、余計におかしくなってきた。