さようなら、パパとママ。
プロローグ 予感
こんなに幸せでいいのだろうか──、と思うときがある。
それは決まって、不幸な人々を目の当たりにするときだ。
わたしだって悩みの一つや二つ、コンプレックスだってある。
けれど、本当に不幸な人たちに比べると、
わたしのちっぽけな悩みなど比にもならないのだろう。
わたしは近辺で、最も裕福な家に生まれついた。
生まれたときから、わたしに足りないものなんてなかったのかもしれない──いいえ、足りなかったのはむしろ不幸だと言えた。
なぜなら、美しくて気高くて、ギリシャ神話にでてくる女神のような母と、優しくて紳士的で、頼もしい父をもっているということ。
私室はとっても広いし、わたしが大好きなドールが幾体も飾られている。どの人形もガラスの目に美しい巻き毛、愛らしい顔立ちをしていて、
言葉にできないほど高価であるのを物語っているのだ。
──――しかし、いくら贅沢な暮らしをして好き勝手に生きていても、
わたしはいつも暗い罪悪感を抱いていた。
こうして何不自由ない生活を送っている間も、世界のどこかの誰かが、自分の不幸を嘆いているかもしれないのだ。
わたしが聞くだけでゾッとするような恐ろしい不幸に見舞われて──。
飢えに苦しむ子どもたちや、戦争やテロで子供を失い、がっくりと首をうなだれている母親たちの写真、パンの一切れを家族で分け合い、ろうそく一本を最後のかけらにいたるまで大切にする、貧しい人々の暮らしの様子を聞かされたりすると、それが重くわたしを覆う。
どんなに頭上が輝かしく晴れていたとしても、どんなに幸せを噛みしめているときでも、灰色の雲がどこからともなくやってきて太陽を隠してしまうのだ。
なぜ彼らが貧しく、わたしが裕福で気ままな暮らしをおくれるのだろうか。
神様は、どうしてわたしをちっとも苦しめようとしないのか……。
──それはわたしの中に眠る永遠の謎であり、
じわじわと広がる恐怖でもあった。
わたしは、つねに暗い予感を背中に感じながら生きてきた。まさに、崖に囲まれたきらびやかな花畑を歩いているような少女時代を送ってきたのだ……。
いつか足を踏み外して、崖から落ちる日がくるのだと……。
──やがて……それは的中することになる。
運命は、ある日突然わたしを、安全で幸せなちいさな花畑から、下へと突き落としたのだった。
さながら千の沈黙を引き連れた、
慈悲なき死に神のように─……。