さようなら、パパとママ。
母、父
──彼女は、神様の愛を一身に受ける女性なのかもしれない。
そうわたしが言ったことがあるが、驚くべきことに母は小さく微笑んで、かぶりを振ったのだ。
「そんなことはないわ」(いつもながらその微笑みにはうっとりとした。)
「私は生まれつきこんな素晴らしい環境にいたわけじゃないのよ。ロシア人の母はあまり日本語が上手じゃなくて、苦労も多かったの。とくに、父が母とトラブルを起こして家を出てしまったからはね…。けれど母と父は駆け落ちしてまで日本に来たから、とても故郷に帰るわけにはいかなかった……。
だからこそ私はモデルの仕事を選んだのだけど」
母は悲しそうに目をふせ、続けた。
「私はスカウトされたわけじゃなくて、母を助けるためならと、必死にオーディションを受けたのよ。
実を言うとね、わたしは教師になりたかったの。子供が好きだったから。
でもすぐにあきらめたわ」
きっぱりとした口調だった。
「そのころは家にろくな美容品もなかったから、周りの女の子たちみたいに美しく着飾ることはできなかった。それでもようやく私はモデルとなって、今は素敵な人と可愛い娘をもって素晴らしい日々をおくっている…。
でも、それはかつての苦渋と忍耐があったからある幸せなの。
本当の神の愛娘は、私じゃなくてあなたなのよ。
きっとね」
母はにっこりと笑った。
──そのときの衝撃は今でも忘れられない。
おかしなわたしは、心のどこかで母が生まれたときから
大金持ちのモデルだと思っていたのかもしれない。
この世に生を受けたときから、もうすでに父がそばにいて、
瞬く間に大人になって結婚する……。
不幸などという言葉なんて知らない夢の国のお姫様のように。
だがそれは甘くて愚かしい妄想に過ぎないのだ。
わたしは母の味わった苦しみや辛さをかけらも知らないのだろう。
……本当の神の愛娘は、わたしなのかしら。
もしそうなら、わたしは一生苦労を知らずに過ごすのだろうか。
いいえ、苦労をしないことが幸せだと断言できるかしら…。
だって、甘やかされて悩みの一つもない人間なんて、
なんだか薄っぺらくて意味のない存在に思えるもの。