桜の咲くころ
「いえ、ミカコさんは悪くないと思います。もし・・・何かありましたら電話ください。これ、私の携帯の番号です・・・」

そう言って、名刺大の紙をあたしに差し出した。

妻とは・・・こういうもの?

裏切った旦那を責めず、相手を気遣いながら、すべての事を自分一人で背負って。

この華奢な背中に・・・。

「・・・離婚・・・しないんですか?」

思わず口にした台詞。

彼女のハッとした表情で、言ってはいけなかったのかと気持ちが焦る。

「・・・彼の本当の相手は、私じゃないのかも知れません。でも、支えてあげられるのは私しかいないと信じていますから」

少し淋しげな笑みを浮かべ、彼女はそう言った。

そんな・・・悲しい愛の形があるという事を、あたしは初めて知った――。


帰り際、「ありがとうございました」と丁寧に頭を下げる。

その彼女の仕草を、あたしはどんな眼差しで見つめていたのだろう。

自分が置かれている状況よりも、彼女の事を思うと悲しかった。

静かに閉まるドアの向こうに立つ、一人の女性のこれからを考えて、心が痛んだ・・・。

「お前が落ち込む必要はないだろ?」

まだ、どんよりと沈んだ空気が淀む部屋にシンの声が響く。

「警察沙汰になった位だから、もう心配ないだろ。これからの事は、あの人が何とかするんじゃん?なぁ?」

玄関に立ち尽くしたあたしの耳に、やけに明るいシンの声が届く。

「なんか・・・悲しいね」

「・・・?」

「あの人は・・・強い人だね・・・」

独り言のように流れ出る言葉たち。

騙していたのはあたしも同じ。

同じように、心の隙間を擬似恋愛で埋めていた。

なのに、あたしだけ幸せになってもいいんですか――?




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