俺のこと、好きなくせに
「本当に、幸せな人生だったわね…」


ポツリと呟かれたその過去形の言葉に、俺の鼓動は急激に跳ね上がった。


「どうして、瞳なのかしら…」


おばさんは急いで俺から視線を逸らし、階数表示をじっと見つめながら言葉を吐き出した。


「あの子、何も悪いことなんか、していないのに…」


その声はとても震えていた。


「さっきね、お医者さんに言われたの」


その声音に何かの予感を感じ、一瞬、この場から逃げ出したい衝動にかられる。


だけどそれは、物理的にも心情的にも無理な事で。


「夏が終わる頃には、あの子はもう……」


この雰囲気にはそぐわない、「チン」という間抜けな音が響き、エレベーターの扉が開いた。


おばさんはエプロンのポケットからハンカチを取り出すと、すばやく目元を拭いつつ箱から降りる。


「じゃあね、進藤君。気を付けて帰ってね」


微妙な角度で振り返り、笑顔を見せたあと、おばさんは足早に去って行ってしまった。


エレベーターを降りて左手側の、廊下の奥にある売店へと向かうその後ろ姿を、俺はぼんやりと見送る。


先ほどの自分の衝撃告白に対する、俺の意見を聞く意志はないようだった。
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