記憶混濁*甘い痛み*

「……いえ。もう 」


いないのかもしれない… 

オレの、友梨は。もう、どこにも。


「…ゴメンナサイ、私 なんてことを…」


和音の言葉に、友梨の心臓はドクリと波打つ。


軽い動揺に、つい腕の力が抜けて、抱えていた小説を落としてしまう。


「あ…」


「風立ちぬ……掘辰雄の名作ですね。ホスピスで読むには、はまり過ぎているかな」


友梨より長い腕が一瞬早く本を拾い、土埃を払う。


「…申し訳ございません。あの…」


どうしたらよいのか、何を言ったらよいのか解らない。友梨は和音の返事を待つ。


すると和音は


「申し訳ない…ではなく、ありがとうでイイんですよ、深山咲さん」


と、言って優しく笑うと、友梨に本を返した。


「…ありがとうございます…」


友梨は惑うような顔で、けれど、しっかりと和音の瞳を見つめて礼をのべる。


なのに和音は友梨から視線をそらすと。


「風が強い……そろそろ病室へ戻られた方が」


と、言って、友梨から離れて行ってしまった。


友梨は和音の後ろ姿を見送りながら、何故か速い鼓動に、惑いを覚える。

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