記憶混濁*甘い痛み*

和音は妻の悲痛な声と芳情院の嘆きを、部屋の前で、廊下の壁に背を当てて聞いていた。


狩谷からは、いっそ催眠療法で記憶を全て引き出してしまったらどうかと言われていた。


ふいに襲うフラッシュバックで一時的に過去を思い出し苦しむのならば、全て肯定して、改めて2人でカウンセリングを受けながら、やり直すのはどうかと言うのだ。


……けれど和音は。

その意見には反対だった。

現実を受け入れられないから、友梨は記憶を消したのだ。

夫であるオレを憎みきれずに記憶を改ざんしたのだ。


その彼女に、わざわざ現実を突きつけて。

また1からお願いシマスなど、言える訳がないではないか。


医者もカウンセラーも精神や心理学を扱う者は個性的な思考の持ち主が多い。


和音からすると、狩谷は友梨を実験対象として見ているような気がしてならなかった。


……今、オレが。

友梨を抱きしめて。

『何』が、変わる?


和音は、壁に飾られたドガの『スター』のレプリカを見ながら、口元を歪ませるように嗤った。


今の『オレ』では。

スターを支える相手役にはなれない。

光を浴びる君を影からそっと見つめる、壁の踊り子がイイ所だ。




その、オレに。

芳情院、あなたが、何を望む?

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