悲恋エタニティ
そんな私の微笑を見て不思議そうな顔をした彼は、私につられるように外を見る。

そして、ああ、と頷いて目を細めた。


「もう少しかかりますね」


簡素に言われた台詞の意味がつかめず彼のほうを向く。

もう少し?

何がだろう。

雨の事かと思ったが声の感じからしてなんとなくそうではないという違和感があった。

不思議な言葉に彼を見ると、彼は外を見たまま続ける。


「桜でしょう。蕾は固いようです。開くにはまだ時間がかかりますね」


桜。

その名に私はもう一度外を見た。

彼の視線を追うようにすると、確かに蕾を持った裸木がある。


あれが、桜。

桜の、木。


小さく感嘆の息を吐くと、今度は彼が不思議そうな顔で視線をくれた。

満開でもなんでもない木を感慨深げに見つめる私が理解できないようだった。


「綺麗なのでしょうね」


ぽつり、とそう言うと彼がはっとしたように息を吸う。

敏い彼のことだ。

そして、敏いだけではなく優しい彼の事だ。

私がなんでこんな事を言っているのか気付いたのだろう。


「とても…綺麗なのでしょうね」


一瞬だけ悲痛なものになったその表情を私に見せないようにしながら、彼もまた桜に目を戻す。

まだ咲く気配のない、それに。

私達はふたり、黙って雨の中に佇む桜の木を眺めた。

本物の桜の花とは、どんなに綺麗なのだろう。

裸木を眺めながら、私はそう思いを馳せる。

私は桜の花を見たことがない。

この和の国を代表する花を、私は一度として自分の目で見たことがなかった。

ただ、どんな色と形をしているのかは知っている。

春、姉が両親から送られたという着物に刺繍されていた薄紅色の花が桜ということを人々の立ち話から聞き、陰から覗いた事があるからだ。

豪華に見えてひとつひとつは実に慎ましいその花は木に咲いており、極楽浄土の雲のように見えた。

もっと知りたくて調べたが、文献に記してあった薄墨のその絵はどちらかといえば雨雲のようだったので、姉の着物ほど美しいと思えなかった。

桜はこの国の人の心だという。

人々は桜が咲いただけで気分が高揚し幸福になれるのだという。

咲いた姿も散る姿も潔いその花は、生き様の見本としてよく例えられ、憧れの象徴でもあった。

その花の木が、今私の目の前にある。

それに感動すると同時に、咲いていないことに微かな落胆を持った。

見たかった。

是非その姿を。

でもどこかで、私だから見れずとも仕方ないと納得した。

豪華な極楽浄土の雲のような、艶やかな春の姿は私に似あわない。

僻みでも妬みでもなんでもなく、心からそう思う。


私自身にも
私の未来にも

春は来ない。
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