怪談
そいつや
87歳の老人が喉に餅を詰めて運ばれてきた。

常連の透析患者だった。

傲慢で我が儘な人で看護師から嫌われていた。

彼には献身的な大人しい妻があり、よく出来た人だと有名だった。

救急車からよろめくように降りてきた奥さんの手に、痣がたくさんあった。

きっと、喉を詰めた夫を助けようと歯のない口の中に手を入れて歯茎に強く噛まれたのだ。

看護師たちはひどく同情した。

処置があるので外の椅子でお待ちくださいとドアを開けたとき、処置室を響かせるような声が聞こえた。


「そいつや!!」


驚いて振り返り周りを見回す。

不思議なことに、数人は同じように驚いて周りを見回しているがあとの数人は聞こえなかったように処置を続けている。

とにかく奥さんを椅子に案内し、病院の説明をすることにした。


しばらくして、医者に呼ばれた。


「…奥さん、まだちゃんとおるよな」


妙なことを聞くのだと思った。


「…夫婦2人暮らしやんな」


奇妙な質問が続く。


「先生、なんなんですか」


聞くと、医者は額の汗を拭いた。


「あかんかった」


老人は助けられなかった事を知り、奥さんの嘆きを思って言葉を無くす。


「警察呼ばなあかんかもしれん」

「は?なんでです」

「喉から餅が出てきた」

「餅詰めた言うてましたからね」

「ドロドロのやつとあと…」


医者は言い淀んだ。




「焼いてない角餅」




老人は性格こそ悪かったが、しっかりしていた。

いくら餅が食べたいとはいえ焼かずに角餅を食べるような人ではない。


「手首と肩に縛っとったような皮下出血がある」


ぞっとする光景が浮かんだ。

奥さんの手にあった痣は、詰めたものを取り出そうとしたのではなく、もしかして……



「多分これ殺人や」



その後奥さんは警察に話を聞かれるため病院から去った。

老人の遺体は息子夫婦に任せることになった。


処置室で聞いたあの声は、

老人のものだったのだろう。




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