愛を教えて
卓巳はあからさまにうんざりした表情を見せ、ネクタイを少しだけ緩めながら浮島に答える。


「仕事だ。都内再開発の件で、宗と各ブロックを視察に廻っていた」

「秘書の宗様もご一緒にお部屋でお待ちです」

「……朝の挨拶を済ませ、着替えたらすぐ仕事に出る」


会話を聞いていたメイドふたりが、卓巳の背後でクスクス笑う。

卓巳はわずかに頬が引きつった。しかし、浮島のほうが一枚上手だ。彼はピクリとも表情を変えなかったのである。


あらためて、この執事は苦手だ、と思う卓巳だった。



吹き抜けの玄関フロアを通り抜け、卓巳は食堂のアーチをくぐって中に入った。

気乗りはしないが、祖母はこの家の主人である。帰宅して挨拶もなしで出かける訳にいかない。ましてや、昨夜は無断外泊となっている。

この歳で……と思わないでもない。

だが、そうはいかないのが、今の卓巳の立場だった。


卓巳の登場に一瞬で話し声が止んだ。

広く長いダイニングテーブルの上座、中央正面に祖母、藤原皐月が座っている。現在は車椅子を使わないと移動ができない。長い白髪をあえて染めることはせず、いつもどおり上品に結い上げていた。


金はあっても、いわゆる成り上がりの藤原家である。豪胆豪傑で鳴らした祖父は、無類の女好きではあったが、経営者としては優秀だった。


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