愛を教えて
そして、万里子の声に、彼の新しい時間が動き始めた。


「あ、ああ……聞こえてるよ」

『あの、私に何かご用ですか?』

「いや。君の用件から聞こう」

『そんな……卓巳さんから先に話してください』

「僕はあとでいい。何かあったのか?」


恥じらい、頬を染める万里子の姿が目に浮かぶようだ。

卓巳の用件とは、偽装結婚の取り消しを伝えること。でも、ほんの数分でも、先に延ばしたいと思った。


『そんな、大したことじゃないんです。あの、今、窓の外をご覧になれますか?』


卓巳の思惑など想像もしていないのだろう。万里子の声は華やいでいた。


「ああ、待ってくれ」


卓巳はラウンドチェアから立ち上がった。

酔いが回ってきたのか、少し足元がふらつく。彼はぶら下がるようにカーテンを掴み、横に引いた。


『月がとても綺麗でしょう? 昨夜のことを思い出していたんです。あの優しい月の光が忘れられなくて』

「ああ……綺麗だな」


そのとき、卓巳の瞳に映っていたものは月ではなかった。


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