愛を教えて
卓巳とは、ほんの三十センチ……定規一本分の距離。
どちらかが手を伸ばせば、触れ合うことが可能な近さ。しかし、互いにとって地球の裏側に行くよりも遠い距離だった。


「卓巳さんも“カノン”を聴かれるんですね」

「不似合いか?」

「いえ、そういう意味じゃ。あの、リビングから寝室に来るドアが新しいのは、ひょっとして」


万里子との約束かもしれない。
鍵を付けると卓巳は言った。太一郎には指一本触れさせない、と。


「気づいてくれてよかった。すべてのドアと窓にセンサーを取り付けた。不正な手段で開けられたときは警備室に連絡が行く」


リビングと寝室の間のスペースは、今回の改装で新たに設けられた。ドアを二枚にすることで、一枚を破られても警備員が到着するまでの時間稼ぎにはなる。
この部屋に居る限り、誰も万里子を傷つけることはできない。

卓巳は自慢げに言いながら、胸を張った。

まさか、改装までしてくれるとは万里子も想像しておらず、驚きとともに感動すら覚える。


「卓巳さん……あの、ありがとうございます」


恋は理性を奪う。


――それは万里子からだけではなく、卓巳からも奪っていった。


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