愛を教えて
このとき、万里子の胸中を占めていたのは、卓巳に手を払われた事実だった。

卓巳が万里子を拒絶したのだ。彼女はそう思っている。


過去は話さなくていい、そう言ったのは卓巳だ。

彼女はそれを額面どおりに受け取った。

まさか、『知っていること』と『万里子から聞かされること』に大きな違いがあるなんて。万里子に思うはずもない。


それに、万里子は自分が卓巳を傷つけたということにも、気づいてはいなかった。

万里子を傷つけることができるのは卓巳だけ。

そして、卓巳の心に致命傷を負わせられるのも、万里子だけだった。


卓巳の甘く優しい愛の囁きは、万里子に自信と余裕を与えた。

万里子は愛されている幸福に浸り、生まれて初めて“甘えた”のである。

周囲の顔色を伺い、気遣ってばかりいた彼女にとって、それは信じられない出来事だ。

そして、万里子はまだ卓巳の愛に甘えている。


愛は最初からなかったと泣きながら……万里子は一睡もせず、卓巳の帰りを待ち続けた。


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