愛を教えて
雪音の最後の言葉は、卓巳に残ったプライドを射抜いた。


――すぐに忘れる。


『私は万里子を抱いてはいない。私たちが夫婦であったことは一度もない』


そう言ったのは卓巳だ。

だが、毎夜、万里子を抱き締めた。夫婦としてお互いを求め合い、可能な限り愛を交わした。あれが、『何もない』訳がない。

卓巳の指も唇も、そして万里子に触れられた体中がいくつもの夜を覚えている。


今の卓巳は迷宮の住人だった。

愛するがゆえに、これ以上愛してはいけない。

万里子の愛に縋れば、胸の痛みは消える。だがそれは、新たな苦しみへの序章となる。



卓巳は愛を捨てるため、ロンドンに向かうことを決めた。


そしてそれは、人の心に“消せない想い”があることを、卓巳に教えたのだった。


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