愛を教えて
水音の止んだバスルームに、万里子は立ち尽くしていた。

激しくドアを叩く音、何かが割れる音と大勢の悲鳴。さすがに同じフロア内の音はバスルームにも振動となって届いていた。

だが、万里子が我に返ったのは、室内に入り込んだときの卓巳の怒声である。


その声に引き摺られるように、万里子はバスルームから外に出た。そして、薄く開いたドアの向こうから聞こえてくる内容に、万里子は驚愕した。


(ミスター・サエキが私を騙したの? でも、卓巳さんが彼の言うとおりにしろって……)


卓巳は万里子を捨てた訳ではなかった。  

そうでなければ、こんなところまで迎えにはきてくれない。万里子はジェームズに騙されたことを知り、膝がガクガクと震え始める。


卓巳のために、これが卓巳の希望なら――万里子はそう自分を納得させて、ライカーの元にやって来た。

だが、それが卓巳の意思でないのなら、万里子は夫を裏切っただけになる。夫を信じず、浅はかにも夫の敵と深い関係になってしまったのかもしれない。


万里子は倒れずにいるだけで精一杯だ。


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