ケイヤク結婚
―大輝side―
 ガタガタンという盛大な音が遠くで聞こえた気がした。

 目の前がグルグルする。

 ぼやけた視界の中で、見覚えのある玄関を目にして俺は手に持っている荷物を手放した。

「なんだ。なんだ?」と無遠慮な声が聞こえてくると、身体に振動が伝わってきた。

 渉の荒々しい歩き方で、古い床板が振動したのだろう。

「酔っぱらってんのか?」

「一滴も飲んでない。理沙の祟りだ。いや、のろいか」

「は?」

「日中、理沙に『風邪でもひいて、そこら辺に倒れて、商談の一つ二つ、ダメになっちゃえばいいのよ』と啖呵を切られた。そしたら、あっという間にこういう状況だ。寒気に眩暈に、頭痛、関節痛……最悪だ」

 こういうことなら、気まずくてもドレスの試着に付き合えば良かった。

 明日にはこの症状が良くなればいいが。

「今、流行りのインフルじゃねえの? 夜間診療にでも行って来いよ。俺、明日も仕事があるから、看病はできねえよ」

 ひらひらと手を振って、渉が家の奥へと引っ込んでいく。

 なんて冷たい奴なんだ。この家の主は俺だって言うのに……。

 こうなったら、理沙を呼ぶか。

 俺は携帯をスーツの胸ポケットから出した。

 身体がだるくて、玄関から動きたくない。だが、このままってわけにはいかない。

 理沙に、解熱剤の薬を持ってきてもらって……身体が楽になったら、部屋に戻るとして。

 携帯の液晶を見ながら、理沙のアドレスを引き出す。

この状態で電話でもしてみろ。『ざまあみろ』と言われるのが落ちだ。

 俺はあげた手をだらんと落とすと、理沙に電話するのをやめた。

 俺の体調不良を見て、笑顔で延々と理沙に説教されるなんてまっぴら御免だ。

 少し横になれば、身体も楽になるはず……。

 俺は瞼をゆっくりと閉じた。

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