ケイヤク結婚
「そうね。私には関係ないわね。でも悔しいな。大輝にそんな顔をさせるのは、私じゃないなんて」

「は?」

 ゆかりが通りに出ると、手をあげてタクシーを止めようとする。

「笑ったでしょ。奥さんの顔を見て。にっこりと」

 ゆかりに見られていたとは。

「私と付き合っているときは、そんな表情を見せたことは一度も無かったわ。目が合っても、知らんぷり。一緒の時間を過ごしていたって、滅多に笑わなかったわ。だから悔しい。三ヶ月も付き合った私より、たった半月足らずで結婚に至った奥さんに、すっかり心を開いてるみたい」

 ゆかりのアプローチでタクシーが静かに停車した。

 開いた後部座席のドアから、ゆかりが乗り、俺が乗り込んだ。

 心を開いてるわけじゃないが。どうしてだろう。冬馬さんの顔を見ただけで、俺は自然に微笑んでいた。

 無意識下で、他人に微笑むなんて十何年ぶりだろうか。

 昔過ぎて、覚えてないが。たぶん、笑ったのは両親がまだ生きてた頃だ。それ以来、俺は意識的に笑っていた気がする。

 笑う場面なら、笑って面白い振りをする。そうやって生きてきた。楽しくもないが、楽しい場面ならその雰囲気を壊さないように笑ってきた。

 もしかしたら、理沙の言うとおり。俺は、冬馬さんのような人が必要なのかもしれないな。
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