マリア
 控え室に戻ってマリアが支度を終えた頃、支配人が入ってきた。マリアはこの男があまり好きではない。背は190cm近い大男で、三十代半ばだというのに前髪が随分と後退している。癒せてはいないが、キツネの様な細い目が冷たい印象を与える。三年前に新しい支配人としてやって来たが、若い子が入ってくると、何人かつまみ食いをしているらしい。マリアのように古株は相手にしないのは幸いだが、よく新人の子に相談されていた。
「早く出しな」
 ぶしつけにマリアに言う。支配人が言っているのは先ほどのおひねりの事だった。マリアは自分が座っている座布団の下から、たたんであった一万円札を出した。支配人はそれをひったくるように取ると、ポケットから千円の札束を出し、「ひい、ふう、みい」と数え、三枚をマリアに差し出した。おひねりは、店の決まりで七割が店・三割が自分のものになる。マリアがお金を受け取ろうとすると、くいっと取り上げるように札を自分に引き寄せる。「これはさっきの迷惑料だ」と言って、さらに二枚を引き抜き、マリアには千円札一枚だけを残して部屋を出た。
「フン。けちな男」
 そう言ったのはマリアではなく、部屋のいちばん奥に座って支度をしているミキだった。彼女は『ミキティの甘い誘惑・魅惑の腰つき』で、この店のナンバー2の子だ。確かハタチになったばかりだと聞いている。ミキは先ほど出番が終わり、瞼の上のブルーのマスカラを拭きながら、鏡を覗き込んで話した。
「あの男さ、ああやってちょろちょろアタシのもくすねるんだよ。それに聞いた話だと遅漏なんだって、アイツ」
 ケケケ、と片方だけ青い瞼をこちらに向け、クシュクシュっと八重歯を見せて笑ってみせた。その笑顔にまだ幼さが残る。
「マリアさんは、もうあがり?」
「うん」
「さっきの騒ぎのあとだから一緒に帰ろうよ。アタシも顔落として着替えたらあがりだから」
「ありがと、ミキちゃん。でも大丈夫だよ」
「だめだめ。いいから待ってて。すぐ終るから」
 そう言ってミキはせっせと顔を拭き始めた。マリアは大丈夫だと思っていたが、せっかくの厚意をふいにするのも悪いと思い、申し入れを受けることにした。
「じゃあ外で煙草吸って待ってる」
 マリアは安物のショルダーバッグを提げ、ミキに軽く手を上げ部屋を出た。
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