マリア
 短い裏口へと続く廊下で、バッグからシガレットケースを出し、煙草を一本口に咥えた。以前このビルの三階でボヤが出て以来、建物の中では一切禁煙になり、喫煙者はいつも外で一服している。裏口を出ると、開いたドアの後ろ側に吸殻だらけの缶の灰皿が置いてあった。誰も一度も取り替えていないのだろう、真っ黒なヤニでどろどろになった缶には、吸殻が山のように積まれ、灰皿の下には乗りきれなかった吸殻がいくつも落ちていた。マリアが煙草を吸おうとライターを取り出すと、地面にまだ煙が出ているシケモクに気がつく。きっとさっきまで誰か吸っていたのだろう。それを足で踏み潰し、マリアは自分の煙草に火を点けた。
 十メートルほど離れた、少し広くなった道にある、裏口に届く街灯がチカチカと不規則に点滅している。裏口の明かりは薄汚れた豆電球のみで、煙草を吸う時にできる赤い明かりが、ぼんやりとマリアの顔を照らす。壁にぐったりと寄り掛かり、マリアは物思いに耽った。
 マリアは福生の米軍基地のそばで生まれた。母は軍人相手の売春婦で、父親はアメリカ人の軍人ということ意外は何も知らない。マリアが生まれてからも、母は自宅に客を連れ込み、変わらず仕事を続けていた。マリアが十五の年に、母の商売相手に犯されそうになり、そのまま家を出た。遊ぶ金も住む所も当然無く、それまでに何度か遊んだことのあった池袋で何日か過ごし、気がつけば夜の世界に足を染めていた。はじめは年をごまかしてキャバクラで働いたが、どうしても初対面の男に体を触られる事に抵抗があった。スタイルも良く、ハーフの整った顔で、寄ってくる客は大勢いたが、どうしてもこの仕事を好きにはなれないでいた。十八の年に、客としてやってきたある男が、マリアを今のストリップ・バーにスカウトしてきた。はじめは断ったものの、随分と熱心に店に通ってはマリアを勧誘してくる。ついにはマリアも折れ、一度ショーを観に行くことにした。スカウトしてきたのは、前の支配人だった。五十歳を過ぎたこの男は、とても自分の店に誇りを持っていて、「ストリップは芸術だ。誰でもできるわけじゃあない。私は君を見てピンときたんだよ。君なら素晴らしいダンサーになれる」支配人はマリアが男に触られるのが苦手なことにも気づいていた。それなら尚更、この仕事が向いていると説いてきた。ショーで客に裸は見せるが、体を触られることはない。みんなこの店のダンサーは自分に誇りを持って踊っている、と。実際、マリアもショーを観て感じた。踊り子達のなんと堂々としてることか。そして皆それぞれに美しい裸体をしていた。女でも見惚れてしまうほど、踊ることで引き締まったしなやかな体つき。色とりどりのライトの下で舞う蝶の様だとマリアは思った。次の週、マリアはそれまでの店を辞め、新しい門を叩いた―――。
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