フェードアウト
そのまま薫が何も言ってこなかったので、その話は立ち消えになったのだろうと思っていた。
少し残念だったけれど、最初から何も聞かなかったことにしようと努めていた。
だから、ちょうど桜が咲き始めたころに、週末会わないかと言われて、動揺を隠せなかった。
「仕事の関係で岡山まで。泉が来てくれるなら、途中で下りるから」
薫が待ち合わせに指定したのは、東海道新幹線が止まる何れかの駅だった。
普段はのぞみを使うけれど、こだまの停車駅でもいい、と妥協してくれる。
社交辞令は嫌いだと言っておきながら、具体的な計画を示されると急に不安になった。
まさか本気で会うことになるなんて、私も考えていなかったのだ。
自分のことは聞かれてもいないのに、何から何まで包み隠さず話していた。
でも、私は薫についてほとんど何も知らなかった。
性別も、年齢も、仕事も、住んでいるところも。
薫は自分のことを「僕」と言うから、男性なのだろうと思っていたけれど、確かめたわけではない。
昼夜問わずチャットができるのは、自宅で比較的自由度の高い仕事をしているからだと言っていた。
それがどんな仕事かはわからなかったけど、それで食べていけるのだから、二十歳そこそこの若者でもないのだろう。
東京で一人暮らしだと言いながら、関西方面の方言を使うから、生まれが関西なのだろうと思っていた。
唯一知っているのが携帯電話のメールアドレスだった。