リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
「それをここで教えたら、意味ないだろうが」

バカか、お前はと言いながら、コツンとひとつ、軽いゲンコツを落とす牧野に、明子は「痛いんですけどー」と、唇を尖らせ講義する。

「部長のゲンコツよりマシだ」
「痛そうでしたねえ。うふふふ」
「笑い事じゃねえぞ。マジ、頭割れるかと思ったんだからな、アレ」
「私のせいじゃないですもん」

ふふんと笑う明子の頬を、このやろうと牧野は抓った。

別れを惜しむように、二人は手が届く距離で向き合い続けた。
そうして、目を合わせたり、逸らしたりしながら、言葉の続きを必死に探すように、喋り続けた。
沈黙がやってきたら、この時間が終わってしまうそうで、続ける言葉を捜し続ける。

「もう、しばらく、山なんて行ってませんもん」
「大丈夫だって。いきなり、エベレスト行くぞって言ってるわけじゃねえだろ」
「いきなりじゃなくても、エベレストなんて目指しませんよ。なんですか、渡したいものって」
「それだけは、絶対に、山に行くまで教えん」

牧野はまた「内緒は、内緒だ」ときっぱりと言い、口をへの字に曲げる。

「なんで、そこに拘るのかなあ」

もう、面倒くさい人だなあと、明子も負けじと口をへの字に曲げて牧野を睨む。

そのまま、しばし、二人は顔をつき合わせて、玄関先で睨めっこを続けて、やがて、どちらともなくため息を吐き、乾いた笑い声をあげた。

「無駄なことやめようぜ。お互い、体調は決して万全じゃねえんだからさ」
「そうですね。どちらかというと、満身創痍に近いですしね」

作り笑顔で牧野にそう答える明子に、牧野の手が伸びた。
右手が明子の腰に回り、左手が後ろ髪に回る。
明子の体が、ぎゅっく硬くなり、小さく震えた。
左の耳朶に熱い息が拭きかかる。
明子の体の芯が、きゅんと甘く疼いた。
どれだけそうしていたことか。
明らかには永遠のように感じられたが、つかの間のことだったに違いない。
ゆるりと解かれた牧野の手は、腕の中にいた明子の体を支えるようにして、明子の二の腕に添えられていた。
まっすぐに、明子を見詰める目が、優しい。

「じゃあな。ごちそうさん」

やっぱり、柔らかいおっぱいはいいなあーと、雰囲気をぶち壊すような不届きな発言をするその口を、明子は思い切り抓りあげた。

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