リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
「あれ。小杉さんも弁当?」

同じ課の二係の長、松山洋二(まつやま ようじ)が、やや驚いたような声で、真っ先に明子にそう声を掛けてきた。

「ええ、そうなんです。久しぶりにお弁当もいいかなあって。ここ、いいですか?」

室内を見回して、どこに座ったものかと考えていた明子は、その声に救われたような顔で松山の元へと歩み寄り、空いている椅子を引きながらそう問いかけた。

「そうなんだ。ああ。空いているとこ、どこでも適当に座ってよ」

のんびりとした性格がそのまま出ているようなぽっちゃり体型の松山は、顔も丸い。
そのせいか、そろそろ四十代になるというわりに、その風貌は若く見えた。
おそらく、この会社の係長クラスの中では最年長だ。
もちろん、同い年の社員の中には未だに主任クラス、あるいは平社員のままという社員もいるが、年齢から考えれば昇進は決して早いほうでもない。
だが、松山の場合、二十代後半になってからの新卒採用入社という、ちょっと特殊な事情があってのことだったので、それを考えれば、そこそこの出世コースを歩いているとも言える。

そんな松山は、今年の春に結婚した新婚さんでもあった。
ぷよぷよの丸くて短い薬指に光る指輪を見るたびに、それは外すことができるのかなという疑問を明子は抱くのだが、それを口にしたことはない。


(外れなくて、いいものなのよ)
(うん)


勝手に、そう結論付けた。

松山が結婚した相手、野口恭子(のぐちきょうこ)は、昨年まで社内で一、二を争う美人と評判だった総務課の社員だった。
明子より一つ、年は上になる。
寿退社後の今は、専業主婦ライフを満喫しているらしい。

二人から結婚の報告があったとき、社内はちょっとした騒ぎになって、松山は一躍、時の人となったほどだった。


ー『美女と野獣』っていうより『美女とアンパンマン』だな、ありゃ。
ーいったい、どうやって落としたんだろうな。


恭子には、それまで浮いた噂一つすらなかっただけに、ヒソヒソと、笑いとやっかみ混じりのそんな会話が交わされた。

木村はスタスタと、沼田章雄(ぬまた あきお)が陣取っている長机に弁当を置き、イス一つを空けて席に座った。
どうやら、そこが木村の定位置らしい。

「今日は、なんのパンですか?」
「あんぱんと、コロッケ」

木村にそう尋ねられた沼田は、雑誌を読みながら、ぼそぼそとした声でそう答えた。

沼田は木村より二年早く入社した社員だった。一課に籍を置いている。
無口で大人しい性格だが、仕事ぶりは優秀だと、新参者の明子ですら聞いている。
一緒に仕事をしたことはないが、エンジニアとしては文句ない腕らしい。
あれでもうちょい愛想のいい性格ならなあと、客先での打ち合わせでも、にこりともしない沼田の様子に、彼の上司がぼやいていたのを明子も聞いたことがあった。


(確かに、無愛想過ぎるわ)
(木村くん、キミの社交性を少し、分けてやりなさい、その子に)


あれこれと話しかける木村に「ああ」とか「うん」とか、そんな言葉しか返さない沼田に、明子も内心ため息をつきながら、松山と同じ机に座った。
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