リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
牧野孝平(まきの こうへい)。
三十四歳。
明子とは同期入社なのだが、名門の誉れも高い某大学出身ということもあり、その歳ですでに課長職についているという、同期の中の出世頭だった。
そんな大学をでているならもっと大きな会社を狙えたろうにと、入社した当時は不思議がられたが、その早い昇進に、これが狙いだったのかという声も最近ではあがっている。
今は第二課の課長である。
明子にとっては、直属の上司となる。
入社五年目にして結婚したものの、わずか一年ほどでその結婚生活は破たん。
離婚に至った。
性格の不一致というのが離婚の理由と噂されているが、その真相は定かではない。
本人が何も語らないから、噂ばかりがまことしやかに流れている。
だが、その極悪を極めた口の悪さが災いして、新婚早々にして愛想を尽かされたに違いないと、明子は決め付けている。
歯に衣着せぬと言えばそれまでだが、とにかく、牧野は選ぶ言葉に容赦がない。
その辛辣な物言いに、社内にですら泣かされた経験がある者たちが数多いるほどだ。
明子とて、例外ではない。
容赦ない言葉の数々に、何度、泣き出しそうになったか判らない。
ただ、決して、牧野の前では泣いたりはしなかったけれど。
(牧野メっ)
(今に見てろっ)
胸中でそう吠えて、悔し涙を闘志に変えて、絶対に泣くものかと堪えてきたのだ。
正確に言えば、堪えさせられてきた、だけれど。
それを牧野に悟られたくなくて、ずっと秘密にしている。
一生、隠し通すと決めている。
そんな男でありながら、けれど、不思議なことにそれほど嫌われてはいなかった。
むしろ、慕われている。
というか、人望がある。
確かに、言葉はきついけれど、基本的には人当たりがよく、話題も豊富で卒がない。
どれだけ容赦ない言葉を投げつけたとしても、窮地を知れば、必ず救いの手を差し伸べる。
そんな男だった。
だからこそ、男性社員からは仕事を含めて、いろいろと相談を持ちかけられていることも多い。
そして、なんだかんだと言いつつも、女性社員には絶大な人気がある。
再婚相手候補に名を連ねようと、あれこれと画策している者が数え切れないほどいる。
もっとも、女性社員に人気がある理由の最たるものは、おそらく、その容姿だ。
一八五センチメートルを越す、すらりとした長身で、手足も長い。
そして何より、顔立ちが整っていた。
男性に綺麗と言うのもおかしな表現だが、宝塚歌劇団で男役をやっているトップ女優というか、歌舞伎の女形というか、なんとも性別不明なあまり男臭くないやや中性的な雰囲気を醸している、非常に整った顔立ちをしていた。
通りすがりに、その顔をうっとりとした目で眺めている女性社員は、今でも多い。
だが、明子には天敵だ。
いつか、天誅を加えてやると、そう決めている天敵だ。
正直に言えば、天敵というポジションに置いておかないと、心を平穏にしていられないだけなのだけれど。
それも秘密だ。
永遠の秘密だ。
誰にも言えない、秘密だ。
明子にとって、牧野はそんな厄介で面倒で複雑な存在だった。
そして、今日も、牧野は涼しい顔で、ズケズケといつものように言葉を続けた。
「お前だって、もう三十路過ぎだろ。そのままじゃ、成人病街道まっしぐらだぞ」
余計なお世話ですと飛び出しそうになるその言葉を、明子はむぐぐっと飲み込んだ。
向かい側に座っている木村が、なにが始まるんだろうと、期待に満ちた目で自分たちを見ている。
それが判っていて、彼の前で醜態などを晒すわけにはいかなかった。
堪えろ、私、耐えるんだと、明子は呪文のように唱え続けた。
しかし、そんな明子の心中など微塵たりとも察しようともせず、牧野は喋り続けた。
三十四歳。
明子とは同期入社なのだが、名門の誉れも高い某大学出身ということもあり、その歳ですでに課長職についているという、同期の中の出世頭だった。
そんな大学をでているならもっと大きな会社を狙えたろうにと、入社した当時は不思議がられたが、その早い昇進に、これが狙いだったのかという声も最近ではあがっている。
今は第二課の課長である。
明子にとっては、直属の上司となる。
入社五年目にして結婚したものの、わずか一年ほどでその結婚生活は破たん。
離婚に至った。
性格の不一致というのが離婚の理由と噂されているが、その真相は定かではない。
本人が何も語らないから、噂ばかりがまことしやかに流れている。
だが、その極悪を極めた口の悪さが災いして、新婚早々にして愛想を尽かされたに違いないと、明子は決め付けている。
歯に衣着せぬと言えばそれまでだが、とにかく、牧野は選ぶ言葉に容赦がない。
その辛辣な物言いに、社内にですら泣かされた経験がある者たちが数多いるほどだ。
明子とて、例外ではない。
容赦ない言葉の数々に、何度、泣き出しそうになったか判らない。
ただ、決して、牧野の前では泣いたりはしなかったけれど。
(牧野メっ)
(今に見てろっ)
胸中でそう吠えて、悔し涙を闘志に変えて、絶対に泣くものかと堪えてきたのだ。
正確に言えば、堪えさせられてきた、だけれど。
それを牧野に悟られたくなくて、ずっと秘密にしている。
一生、隠し通すと決めている。
そんな男でありながら、けれど、不思議なことにそれほど嫌われてはいなかった。
むしろ、慕われている。
というか、人望がある。
確かに、言葉はきついけれど、基本的には人当たりがよく、話題も豊富で卒がない。
どれだけ容赦ない言葉を投げつけたとしても、窮地を知れば、必ず救いの手を差し伸べる。
そんな男だった。
だからこそ、男性社員からは仕事を含めて、いろいろと相談を持ちかけられていることも多い。
そして、なんだかんだと言いつつも、女性社員には絶大な人気がある。
再婚相手候補に名を連ねようと、あれこれと画策している者が数え切れないほどいる。
もっとも、女性社員に人気がある理由の最たるものは、おそらく、その容姿だ。
一八五センチメートルを越す、すらりとした長身で、手足も長い。
そして何より、顔立ちが整っていた。
男性に綺麗と言うのもおかしな表現だが、宝塚歌劇団で男役をやっているトップ女優というか、歌舞伎の女形というか、なんとも性別不明なあまり男臭くないやや中性的な雰囲気を醸している、非常に整った顔立ちをしていた。
通りすがりに、その顔をうっとりとした目で眺めている女性社員は、今でも多い。
だが、明子には天敵だ。
いつか、天誅を加えてやると、そう決めている天敵だ。
正直に言えば、天敵というポジションに置いておかないと、心を平穏にしていられないだけなのだけれど。
それも秘密だ。
永遠の秘密だ。
誰にも言えない、秘密だ。
明子にとって、牧野はそんな厄介で面倒で複雑な存在だった。
そして、今日も、牧野は涼しい顔で、ズケズケといつものように言葉を続けた。
「お前だって、もう三十路過ぎだろ。そのままじゃ、成人病街道まっしぐらだぞ」
余計なお世話ですと飛び出しそうになるその言葉を、明子はむぐぐっと飲み込んだ。
向かい側に座っている木村が、なにが始まるんだろうと、期待に満ちた目で自分たちを見ている。
それが判っていて、彼の前で醜態などを晒すわけにはいかなかった。
堪えろ、私、耐えるんだと、明子は呪文のように唱え続けた。
しかし、そんな明子の心中など微塵たりとも察しようともせず、牧野は喋り続けた。