リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
「大塚さんの広島行き、今日、決まったんですか?」

ぼそりと、声のトーンをやや落として、極力、穏やかな声で、明子は牧野にそう問いかけた。

「最終的にはな。前から部長と君島さんの間では、少し前からそんな話が出ていたらしい。金曜日の様子を見て、いいだろうって言う部長判断がでたみたいだぞ」

俺も、一から十まで聞いてるわけじゃねえからよ。
刻んだネギがたっぷりと混ぜられている、白だしで味付けられた玉子焼きを、子どものような顔で頬張りながら、牧野は世間話のような軽いノリで喋り始めた。

「木曜日。大塚さんを殴ってきたって」
「おう。腹に一発、ドスンとな」
「病人なのに。病人なんですよね? みなさん、随分な言いようでしたけど。ほんとに、病気だったんですよね?」
「胃じゃなくて、すい臓だったんだとさ。無茶な飲み方するからな、あのバカ」
「それ、けっこうな重病ですよね? みんなして。ひどいです。また騙してましたね、私のこと」
「バカ。俺だって木曜に知ったんだよ。だましてねえよ」
「だったら、判った時点で話してくださいよ。危うく、えいやーって、成敗しちゃうとこだっんですからね」
「金太郎の皮かぶった桃太郎、すげー」
「怒りますよ。ホントに」
「土曜の夜に話す予定だったんだよ。しかしだな、あの日の俺様は、そんな余裕も気力も体力もだな、きれいさっぱりざっぷりと、雨で流されちまったんだよ」

判ったかという牧野に、明子はぷうっと頬を膨らませて、気持ち項垂れるように首を下げ、上目遣い気味の横目で牧野の顔を見た。

疲れ果てて眠り込んでいたあの顔が、明子の記憶から消えない。
瞼の裏に焼きついたように、何度も何度も浮かんでしまう。


(私だけが、悪い訳じゃないと、思うんだけどなあ)


自分には非はないと言うようにふんぞり返っている牧野に、なんだか理不尽だわと思いながらも、罪悪感は自分の気持ちの問題なのだから、どうしようもなかった。
明子は、まだ手付かずのままだったオニオンスープが入った容器を、するりと牧野に差し出した。

「あげます」
「おう。玉ねぎスープの貢物だ。けけけ」

牧野は嬉しそうにそれを受け取ると、早速とばかりに遠慮のかけらもなくスープを啜り飲んだ。
旨いなと、目を細めるその顔に、つい明子も笑ってしまった。
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