リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
(やったね、『たか兄』に勝ったよ)
(わはははは)


まあ、それはあくまでもテレビの中の話であって、そんなことを張り合ってどうするんだと言う話だけれど。
それでも、六百グラムと言え『たか兄』よりも多く体重を落とした自分を、明子は盛大に褒め称えた。


(あたしも、やればできる子だったのね)
(すごいじゃん)
(ふふんだ)
(しかし、『たか兄』、ドレッシングが手作りできることに驚くって……)
(それは、家事全般ダメというよりも、一般常識の欠落なんじゃ……)


そんなことをふつふつと考えて、明子は『彼』のことを、うっかり思い出してしまった。


(いた。そんな人。昔、いた。すっごい身近に)
(ゴマをすって作ったドレッシングに、これも作ったの? ホントに? すごいなあって、心の底から驚いたみたいな声をあげて、すごい、すごいを連呼し続けたそんな人)
(昔、いた。あたしの前に)


そんなことは微塵たりとも願ってなんかいないのに、それでも、こんなふうになにかの拍子に、勝手にふつふつと記憶の海から蘇ってくる思い出の残像に、重いため息を吐き出した明子は、がくりと力なく項垂れて、それからなにかを無理やり振り切りように、残っていたビールを一気に飲み干した。


(よし)
(スクワットと腹筋をやったら、休むか)


ふぅっと、明子は胸の奥から込み上げてきそうになった苦々しい思いを吐き払うように、思い切り息を吐き出して、そう自分を奮い立たせると、すでに飲み干して空になった缶ビールを片付けた。
テーブルに放置などというズボラなことはせず、きちんと片付けた。

肩幅に足を開いて、爪先はやや外に向けて、頭の後ろで手を組んで、体勢を整えると、よっしゃっと一言、そう気合を入れると、真夜中の運動として定番化しつつあるスクワットを、明子は意気揚々と開始した。
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