リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
-行かないでくれ。
-どこにも行かないでくれ。


明子にしがみ付くようにして、今にも泣き出しそうな声で囁かれた牧野の言葉が、明子の心を締め付けた。
なにかに怯える子どものような、弱々しい声だった。

二言。
三言。
君島と話をした牧野は、やがてその電話を切った。

また、雷鳴が轟いた。
地響きのように、足元まで震わす音だった。
牧野の体がわずかに竦むのが、明子にも判った。


きつく。
つよく。


明子は、初めて見た、幼子のような牧野を抱え込んだ。

「行きませんよ。どこにも」

静かに、それでもはっきりと、明子は牧野にその言葉を伝えた。
牧野が顔を上げ、なにかを確かめるように明子を見つめていた。
揺らいでいるその瞳に、明子は静かに言葉の先を告げた。

「まだ、さっきの返事、ちゃんとしてませんでしたよね」

微笑みながら、それでも、明子も泣き出しそうになってきた。

「どこにも、行きません。ずっと、側にいます。ずっと。いる」

牧野さんの傍に、いる。
ずっと胸の中にあった思いを、明子は初めて言葉にした。


きつく。
つよく。


明子は、牧野を抱きしめた。


本当は。
ずっと、側にいたかった。
離れることを決めたのは自分だけど。
その決断を、ずっと、ずっと、迷っていた。
離れるのだと。
遠くに行くのだと。
そう自分に言い聞かせ、牧野のいない場所を自分で選んだ。
けれど……

離れたくないという願いが。
側にいたいという願いが。

ずっと、ずっと、心の中に埋まっていた。
離れると決めたその日から。
消えることなくずっと、胸の中、一番深いところに。
埋まっていた。

「もう、どこにもいかない。ずっと、側にいる」

涙とともに、ずっと、胸の奥に仕舞いこんでいた想いが、言葉となって溢れ出た。
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