リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
「牧野さん。起きてくださいよ」

マンションの前に車を止めて、明子は眠り続ける牧野を揺り起こそうとしたが、思っていた以上に、牧野のその眠りは深いらしい。
どれだけ呼びかけても、まったく、起きる気配がなかった。
いつまでも路上に止めておくわけにはいかないと、明子は自分が借りている駐車スペースに車を入れた。


(どうしよ?)


明子は、心底、困り果てた。
この牧野は、なにがあっても起きない状態になったときの牧野だった。
ちょっとやそっとのことでは、目を覚まさない。
眠り続ける牧野の顔に、仕方ないからもう少しだけ様子を見ようと、明子は車のエンジンを切った。
静かな車内でこうしていると、二人だけ、世界から切り離されたような錯覚を覚える。
空調が切れた車内は、瞬く間に冷え込んでいく。
まだ、我慢できないほどの寒さではないけれど、それでも、もう季節は晩秋から初冬になり始めている。
明子は少しばかりの肌寒さを感じた。
牧野は寒くないだろうかと、瞬きも忘れて眠るその顔を見つめ続けていた明子は、そっと、静かに、牧野の右手をとった。
いつも、明子をからかうときはひんやりとしている冷たい手が、ぽかぽかと温かい。
日曜の朝も、牧野はこんな手をしてことを明子は思い出して、頬が緩む。
よほど眠かったのねと、明子は静かに笑った。

細くて長い綺麗な指だった。
指先すらも、牧野は男性的というより女性的な作りをしていた。
子どものころから、小さくて丸くて指も短い自分の手がコンプレックスだった明子には、羨ましいほど細く長い指をした綺麗で滑らかな手だった。
手の平も、それほど肉厚的ではなかった。
けれど、なにもかも包み込んでくれような、そんな安心感を与えてくれた。
< 829 / 1,120 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop